MoMA QNS(モマ・クイーンズ)
マチス・ピカソ展(Matisse
Picasso) モマ・クイーンズ The Museum of Modern Art, Queens 2/13- 5/19, 2003
会場風景 Photo© S. Yoshida
会場風景 Photo© S. Yoshida
豊かな色彩をみごとに形体に調和的させることで知られるアンリ・マチス(1869-1954)。かたや形体のデフォルメによりあえて静寂を乱すかの様なパブロ・ピカソ(1881-1973)。20世紀の2大巨匠でもある二人、美術史の中では相反する者同士として語られるが、2大ライバルであったとともに友人でもあった。その二人の関係をピカソはかつてこう言ったという、”誰も自分ほどマチスの絵を注意深く見る者はいないし,マチスほど自分の絵を注意深く見る者はいない。” 会場は、二人の出会いの時期に描かれた両者の自画像に始まり、1961年に制作されたピカソの彫刻で終わる。(その彫刻は,没後7年になるマチスに捧げたもの。)二人の作品の影響関係を探る今回の展覧会、どの展示室も、両者の対比が明解に伝わる構成となっている。
右:Pablo Picasso. アビニオンの娘達 Les Demoiselles d'Avignon. 1907. 左:Henri Matisse. Bathers with a Turtle. 1908. Photo© S. Yoshida
マチスとピカソが出会うのは、1906年頃のパリでのこと。三十代後半、フオーブの騎手としてすでに名の通っていたマチスに、ひとまわりも若いピカソ。初対面で、マチスは自身のアート理論を喋り通す。ピカソにとってはあいづちする暇しかなく、非常にストレスフルな体験だったようだ。この両者の関係を全て覆したのがキュビズムの走りともなった、ピカソの”アビニヨンの娘達(1907)”。マチスは、常に豊かな色彩を忘れなかったが,キュビズム台頭後は,その影響を受けるかの様に作品の中に抽象的な線や幾何学的な色面を持ち込むようになる。
キュビズムは、その後複雑に形体を追うばかりに無彩色に陥る。その転機になるのが、ピカソのコラージュ制作で、従来のキュビズムに色彩を導入したとされる。そしてピカソの”ハレクイーン(1915)”の誕生。マチスは,ある画廊でこの”ハレクイーン”を見るが、その画廊のオーナーに自分の“金魚とパレット(1914)" が”ハレクイーン”の呼び水となったのではともらしたほど、自身の作品との共通項をそこに見たようだ。1920年後半から30年にかけて、ピカソはシュールレアリズムに移行する。常にイズムとは無縁で独自の世界を展開したかのように見えるマチスであるが,”大きな寄り掛かるヌード(ピンクヌード)(1935)”には、自己のスタイルを主張しつつ、ピカソを意識するマチスの姿勢が読み取れる。この様に、今回の展覧会での両者の作品の対比は、お互いのビジュアルな影響関係を浮き彫りにする。
右から2番目:Pablo Picasso.黒いアームチェアーのヌードNude
in a Black Armchair. 1932
マチスが亡くなるのは1954年。ピカソの意欲的な制作の影にはマチスという超えるべき良きライバルがあったからではないか。マチスの死後,ピカソは、ドラクロワに基づく、マチスも好んだテーマ,”オダリスク”に着手する。これについてピカソは、”自分に残されたのは、伝説の様なマチスのオダリスクである”、と友人に語っている。そして、”自分がマチスの作品を受け継ごう”とも言ったという。マチス・ピカソ展、必ずしもそれぞれの代表作、(例えばマチスの”赤いスタジオ”など)がそこに見れるわけではない。けれども,モマ、テートモダン、ミュゼピカソ、そしてポンピドーセンターという世界の美術館が共同企画して実現したこの展覧会、二人の巨匠のつきない対話が聞こえてくる様だ。 (Yoko Yamazaki)
今回のチケットは、当日券もあるが、数に限りがあり,前売りが中心。テロ後の保険金の高騰が影響しているともいわれ、チケット代金は、$20とNYの展覧会の中でも高額である。30分ごとの入場規制がある。詳しくは要問い合わせ。(212/708ー9400) 期間中の時間は以下の通り。 時間 月、火、日:10:00a,m. - 5:00p.m.
(ただし以下の月曜は7:45p.m.まで:2/17, 3/24, 4/21, 5/12)
金、土:10:00a.m. - 9:00 p.m. 閉館日:火,水
会場風景 Photo© S. Yoshida
会場風景 Photo© S. Yoshida
|
Copyright (C) 1999-2005 New-York-Art.com All rights reserved. New-York-Art.com
|