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岡本 太郎 年譜
29歳まで
【1911年 (明治44年)】
漫画家の岡本一平、歌人・小説家の岡本かの子の長男として、川崎市高津区二子にある母の実家・大貫家にて生まれる。
父・一平、朝日新聞社に入社。
青山の青南小学杖に入学するが、1学期で退学。 日本橋通旅寵町にある私塾・日新学校、小伝馬町の十忠小学絞を転々とし、寄宿合生活を送るが、教師の態度に馴染めず退学。 翌年、慶応幼稚舎に入学。
3月 慶応普通部を卒業し、翌月 東京美術学校洋画科 (現在の東京芸術大学)に入学。
12月5日 父・一平のロンドン軍縮会議の取材旅行に同行するため、一家で箱根丸にて神戸港を出発。 【1930年 (昭和5年)】 19歳 マルセイユを経由して、パリに到着。 一平かの子は取材のためロンドンに向かい、太郎は1人パリに残る。
ロンドンのハムステッド・ヒースの両親のもとで夏休みを過ごす。
モンパルナスにアトリエを構える。
オランダ、ベルギーを旅行し、ゴッホの 《馬鈴薯を喰う人たち》 に感動する。
パリ郊外にある セーヌ県ショアジー・ル・ロアのリセ 「パンシオン・フランショ」(私立学校寄宿舎)でフランス人と寝食を共にし、フランスの一般的文化教養を身につける。
パリ大学 ソルボンヌ校 哲学科の聴講生となる。 ヴィクトール・バッシュ教授の 「ヘーゲル美学」の講座を受講し、講義で展開されたカントの純粋理性批判に傾倒する。 両親は帰国の途につく。
ラ・ポエツシー街の ポール・ローザンベール画廊にて、 ピカソ の作品 《水差しと果物鉢》 (1931年) に感動を受ける。 これを契機に抽象芸術の道に進む決意をする。 10月 サロン・デ・シュールアンデパンダン展に出品した作作品が、ラントランシジャン紙で批評家モーリス・レイナルによる賞賛を受ける。
会のメンバーである ジャン・アルプ、ロベール・ドローネらと交友を結ぶ。 サロン・デ・シュール・アンデパンダン展に 《空間》 を出品。 グルニエ・デ・ゾーギュスタンで 「コントル・アタック」 (反撃)の最初の公開集会に マックス・エルンスト に連れられて参加。
「アプストラクシォン・クレアシオン」のメンバーであるクルト・セリグマン等と 「ネオ・コンクレティスム」 (新具体主義) を提唱し、手に届く実感のあるものを追求する。
【1937年 (昭和12年)】 26歳 パリの出版社 G.L.M.より初めての画集 『OKAMOTO』 が刊行される。 「国際シュールレアリスム・パリ」 に 《傷ましき腕》 を出品。 アンドレ・ブルトン らシュールレアリストらとの親交が深まる。
バタイユからの推薦により、秘密結社 「アセファル」 (無頭人)に参加する。 母 かの子 死去 (享年49歳)。
ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦の勃発。 ドイツ軍によるフランス侵攻により、最後の引揚船・白山丸で帰路につく。 8月 帰国し、日本の伝統文化を自分の目で確かめるために、奈良、京都へ旅行。 |
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