【1961年 (昭和36年)】 50歳 1月 中央公論社より 『忘れられた日本〈沖縄文化論〉』 を山版。毎日出版文化賞を受ける。
6月 東京宝塚劇場・東宝劇団歌舞伎旗揚げ公演 「寿二人三番叟」の美術を担当。
8月 二科会を脱退
11月 カルピス相模原工場にモザイク・タイル壁画 《初恋》 を制作。 4月 東京・後楽園ボウリングセンターに、モザイク・タイル壁画 《赤》 《青》 の2面を制作。
川崎市二子の多摩川湖畔に岡本かの子文学碑 《誇り》 を制作。
12月 東京池袋駅前広場にアルミ製クリスマス・モニュメント 《メリー・ポール》 を制作。 2〜3月 フランス、イタリア、アメリカ、メキシコを旅行。
4月 東京国際見本市においてシチズン時計のディスプレイをし、また時計を組み込んだ 《涙のペンダント》 を試作。
7月 アントニオ・レイモンドと協力してディブス氏邸 (東京・渋谷) に、彫刻と壁画による浴室を構成。
12月 東京・也袋駅前広場に東京オリンピック記念の 《ヴィクトリー・ポール》 を制作。
1月 東京・池袋百貨店と銀座・東京画廊で個展を開催 (会場構成は磯崎 新)。 その後、名古屋、川崎、仙台、福岡など各地を巡回。
8月 東京オリンピックの参加記念メダルを制作。
東京サンケイホールでのアキコ・カンダ・モダンバレーの舞台装置を制作。
国立代々木競技場 (丹下 健三設計) に陶板レリーフとモザイクによる壁画を制作。
韓国に取材旅行に出かける。
4月 伊豆・堂ヶ島ホテルの玄関とロビーに陶板壁画を制作。 8月 銀座・東京画廊にて 「鐘と炎」展 を開催。
10月 名古屋・久国寺に梵鐘 《歓喜》 を制作。
旧正月行事取材のために香港、マカオを旅行。
7月 伊豆急富士見ランドに陶板レリーフとガラス・モザイクによる壁画 《太陽誕生》 と、《太陽の鐘》 を制作。
9月
11月 銀座数寄屋橋公園に 《若い時計台》 を制作。
12月
山形県寒河江市役所市民ホールに 《光る彫刻・生誕》 を制作。
6月 日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任。
7〜9月 中南米に旅行し、テレビ映画 「岡本太郎の探る中南米大陸」 に出演。 9〜11月 個展を開催。 (横浜、三重、甲府、水戸などを巡回)
【1968年(昭和I43年)】 57歳 2月 メキシコの大型ホテル、 オテル・デ・メヒコ の壁画 《明日の神話》 制作のために、現地にアトリエを購える。
6月 銀座・松屋で 「太郎爆発」展 が開催される。
9月 東京・山王の マミ会館 を設計。
12月 銀座の日本軽金属ビル1階ホール・アルミ美術館に 《愛の部屋》 を構成。
【1969年 (昭和44年)】 58歳 4月 日本橋・三越で創作デザインによる 「シャギー・カーペット」展 が開かれる。 犬山ラインパークにシンボルタワー 《若い太陽の塔》 を制作。
8月
12月
3月 日本万国博覧会シンボルゾーン中央に 《太陽の塔》 《母の塔》 《青春の塔》 を含むテーマ館完成。テーマ館館長をつとめる。 7〜9月 「TARO爆発」展 がパリ、アルジェ、チュニスを巡回。
銀座の日本軽金属ビル1階ホール・アルミ美術館に 《花びらの座》 を構成。
日商岩井音羽マンションのインテリア構成を行なう。
7月
11月 名古屋にあるオリエンタル中村百貨店正面外壁に光る大壁画を制作。 名古屋駅地下鉄エスカにシンボルゾーン 《幻想の広場》 を構成。 【1972年 (昭和47年)】 61歳
3月 山陽新幹線開通にあわせ、新幹線岡山駅に陶板壁画 《躍進》 を制作。
4月
5月 ぜんちょう56mの飛行船に絵を描く。
8−10月 金沢市で開催の 「日本海博」 を監修、記念メダルを制作。
9月 毎日新聞社主催の 国際交通シンポジウム に建築家 フーラー、社会学者ルベルとともに記念講演。
3月
NHK放送センター・ロビーにレリーフ壁画 《天に舞う》 を制作。
8月 きものの柄をデザインし、 《TAROきもの》 として発売される。
9月
12月 信州・野沢温泉にシュナイダー記念碑を制作。
ロンドンのフランクリン・ミント社より銀製の飾額 《人間と太陽》 が、以降数年にわたり連作として山される。
1月 大阪・千里の万博記念公園に 《太陽の塔》 の永久保存が決まる。
7月
10月 パリ国際センターに 《太陽と月》 《いこい》 《めざめ》 《風》 《赤》 の5杖のレリーフを制作。 |
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