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-CONCEPT- OLD記事


ウイリアム・クライン 

Wide World Photo From "ART AND ANARCHY"


    強烈なロックに芸術論無用


 日本人の胃袋は底知れない、といった外人がいた。 あらゆるものに喰いつき、のみ込み、吸収し、すぐ排泄してしまう。  事実だ。  ミロのヴィーナス観たさに上野の山を行列で取り巻く一方、都美術館ではネオダダイストが美術館破壊を企てる。   しかしこれも、一九二〇年代のダダイストのエッフェル塔破壊が下じきであることは否めない。

 新宿百人町の吉村益信宅通称芸術のホワイトハウスに集合したネオダダイストらが、二〇年代を下じきにした文学青年的あこがれを多少持っていたとしても最初は仕方がない。  芸術と名のつく無償の行為に含まれる精神的自由は、 しかし過去のものだ。  だからぼくはグループを常に二十世紀のマスコミのスポットライトの中に強く押し出して来た。  インタビューのマイクに向かって固い芸術論は無用だ。  大声でショッキングな発言をしたものが通ってしまう。  カメラの前ではたちまち裸で踊り出さなければならない。

 猛烈なロックの中で狂ったようなダンス。  その真中に機械体操の選手だったメンバーの吉野(辰海)が中二階から何度も飛び降りる。  花火が天井に跳ね返って火の粉が頭に降りかかる。   踊り狂う足もとでは中原佑介氏を囲み、五、六人が車座で喧嘩のような芸術論をたたかわせている。

  「感傷性を排す、これがぼくの評論上のモットーだ」

と中原氏の声が聞き取れる。  ダンスのぜんぜん駄目な荒川修作が床にあぐらをかき両腕を開いたり閉じたり、徒手体操をしていたが、急に泣きながら頭をゴツンゴツン床板にぶつけ出した。  後で考えれば、ハプニングだったのかも知れない。   ストリップを踊りだした東野芳明氏にショックを受け、悪酔いした若手の田中信太郎、吉野、田辺三太郎は、間違って一升ビンに入れてあったエッチング用の硝酸を茶わんでがぶ飲みにし、近くの大久保病院にかつぎ込まれてしまった。

 

 




   ネオダダ・グループの活躍


 朝露で、ビショビショにぬれたズボンの男が野外アトリエに立っていた。  男の目のまわりにはくまが出来ている。   不眠が続いている証拠だ。   ひさしぶりに早起きして制作に取りかかろうとしたぼくは、その大男が、ノイローゼの荒川修作であることを認めた。

 「どうした、こんなに早くから。」

 そばに女物のしゃれた自転車が立てかけてある。 目をぱちぱちしながら彼は答えた。

 「君は相変わらずタフに制作しているなぁ。ぼくは駄目だ・・・・・自転車でメチャクチャにスピードを出して角を曲るんだ。  自動車にぶつかりそうになってブレーキをかける。  すごくスカッとするんだ。」

 そうとう重症だなと感じた。 その彼から夕方電話で呼び出され、阿佐ヶ谷の花籠部屋の横手にある平岡弘子嬢のアパートの一部屋を借りたアトリエに行った。 虫メガネのレンズで作った幻灯機を囲んで、赤瀬川原平と風倉匠が興奮し切ってぼくを迎え入れた。 セロハンの切端しにインキで模様を描き、壁に拡大すると思わぬ効果が生まれる。   「君もやれ」  とさし出されたセロハンに、ぼくは、蚊を一匹たたきつぶし、赤インキをたらしてはさみ込んで映した。 「すごい」  まるで太平洋に墜落したジェット機のようだ。  半殺しの蚊がピクピク動かす手足が強烈だ。  狂喜した彼は頭を抱え、ウーウー、動物的にうなっている。 造型的に定着しにくい、こんな瞬間的効果にすぐあきてしまったぼくと逆に、荒川は鳥の羽、その他部屋の中のありとあらゆる物体を試み、そのたびにカン声を上げ、深夜まで続けていた。

 名古屋で高校時代は砲丸投げの選手であり、二十貫の巨体を、フナ釣りで真黒に焼いた荒川だが、それでも

″絵とは気魄だ″

と竜の眼玉を入れながらうそぶく故横山大観や、また日光を背一杯浴びて大理石の巨塊にノミを振う彫刻家の健康美に較べるならば、陰湿とも病的とも呼べただろう。  読売アンデパンダン展に出品した砂をぶっかけた彫刻や、ジュースのビニール袋に水を入れ数十個ぶら下げただけのオブジェ。  水がだらしなくもれて床に流れている。  造形化の不可能な素材にたくする彼のイメージは潜在的なものなのだろう。  ネオダダ・グループが、太陽の季節の到来とともに、いよいよその真価を示し出し、鎌倉のビーチショウ、日比谷公園野外展と、マスコミの前に日やけした肉体で暴れ回っているとき、彼は部屋にとじ込もり、二十貫の巨大なからだからあせを吹き流しながら、この暑いのによりによってフトン綿の作品と取組んでいたのである。

 TBSの依頼で鎌倉材木座海岸に現われたぼくらは、風倉匠を海草とビニールです巻にし、ロ-プで海中から引上げるシーンを撮ると、こんどはカメラマンで詩人でもある鳥居良禅氏の鎌倉の安養院の裏の墓地を、墨汁と裸女で汚した。  

 三日間の合宿の後、東京に帰ると、日比谷公園野外展が待っていた。  グループもこの頃になると初期のマニフェストにあった立派な芸術主張はお題目も同然で、次から次と押寄せるマスコミの持参するウイスキーをがぶ飲みしながら、奇ばつなアクション・ショーを片っぱしから演じて行くだけで、作品は荒れに荒れ、花火を仕かけあったり、点滅する飾り電球がついたり、日比谷画廊に集められたものなど、作品と名のつくものは一つも無かった。   

 なかでも仙台高校サッカー部出身の升沢金平(現在ニューヨーク滞在)が自分のフトンから引っぱり出した綿を床に拡げ真中に小便をした「帝国ホテル」と題する作品には、さすがのぼくもあいた口がふさがらなかった。  作品に火をつけたり、墨汁をぶっかけ合い、公園の池に飛び込んで体を洗う。  常に二日酔いのぼくらにさすがの東京都公園課も会場費をつっ返し画廊を閉鎖してしまった。  銀座が近いのでぼくらは毎日奇ばつな格好でデモった。  電球をたくさんぶら下げたマントを着た金平は、アベックを見ると電球をぶっつけるのでヒヤリとした。

 

 

 

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