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篠原有司男年譜 1960-1964
1960年 昭和35年 28歳 3月 第12回読売アンデパンダン展(東京都美術館/3・1−16)出品 [絵画の部]〈地上最大の自画像〉〈ボクシング・ペインティング〉 [写真の部]〈壮烈口カピリー画家〉 [彫刻の部]〈カミナリ彫刻〉 「ベニヤ板15枚にセメントて描いたモヒカン刈りの自画像は、重くて持ち上がらず、セメントをシャベルて削り落し、全面コールタールをかけ、長靴に白ペンキで画面の上を滑るようにして五分て描き直し、題して〈地上最大の自画像〉とした。」 4月 第1回「ネオ・タグイズム・オルガナイザー」展(銀座画廊/4・4−9)出品 ゴム風船50個て室内を造形した〈ごきげんな四次元〉 [出品者]赤瀬川克彦、荒川修作、石橋清治、岩崎邦彦、上田純、上野紀三、風倉省作、豊島壮六、吉村益信 「アンデパンダン展会場て知り合った十数名か新宿百人町の吉村益信の広いアトリエに集まり、グループを結成した。ヨーロッパ、アメリカの現代美術の華やかな話題が続々日本に届さ、我々を刺激して止まず、それならこちらもと、ヨーロッパのダダイズム運動に多くの創作活動のヒントを得ていた我々は、ネオ・ダダとグループの名を決め、第1回展を銀座二丁目銀座画廊2階て開いた。作品の素材は水、卜−フ、壊れたコップなどて、本人のアクションを伴い、術頭に出、通行人の中でアクションを行い、これを創作活動に結び付けようとした。」 7月 第2回「ネオ・ダダ」展(吉村益信アトリエ/7・1−10)出品 木の娘に空カン、釘を無数にたたきこんだ作品 [出品者]赤瀬川克彦、荒川修作、上野紀三、風倉匠作、岸本清子、田中信太郎、田辺三太郎、豊島壮六、吉野辰潅、吉村益信 9月 第3回「ネオ・ダダ」展(日比谷公園画廊/9・1-(7))出品 竹を素材にしたオブジェを出品 9月 30日、「ビザールの会」(東京ガス・ホール)に参加 12月 野外アクション展(杉並区西田町自宅/12・12−1・31) 1961年 昭和36年 29歳 1月 13日、第13回読売アンデパンダン展の運営委員(洋画)となる。 3月 第13回読売アンデパンダン展(東京都美術館/3・2−16)出品 [彫刻]〈ドトンパで行くぜ〉 この年、ウイリアム・クラインの写真集『東京』のため、「ボクシング・ペインティング」を行う 「一枚十円のケント紙を50枚空地のコンクリートの壁にはり、両拳に巷さ付けたぼろぎれにたっぷり墨汁を染ませ、殴りかかる。称してボクシング・ペインティングは、多くの雑誌のグラビヤを飾り、茶の間のテレビを賑わしたが、写真家ウイリアム・クラインは、白い奥行さのある長大な空間を次々と繰り出す真っ黒な墨汁のパンチが瞬時に埋め尽くしていくスピードある光景を激賞し、彼の代表作として残している。」 同年、「アート・ブレーキーなどモダン・ジャズにのめり込み、新宿二丁目のジャズ喫茶 『さ〜よ』に通う。」 1962年 昭和37年 30歳 1月 アクション・ペインティング作品発表(村松画廊/1・11−15) 2月 1日、第14回読売アンデパンタン展の運営委員(彫刻)となる 3月 第14回読売アンデパンタン展(東京都美術館/3・2−16)出品 [造形]〈ツイストだんご〉 10月 個展(村松画廊/10・6−10) 〈自画像〉〈ボクシング画法の終焉〉〈赤い喰い殺されたベッド〉、ボクシングペインティング等 1963年 昭和38年 31歳 2月 映画「日本残酷物語」の中の「前衛芸術」に出演 3月 第15回読売アンデパンダン展(東京都美術館/3・2−16)出品 [絵画1]〈Car Club〉 [彫刻]〈反陽子銃を持ってUFOから脱出〉 3月 グループ「SWEET」展くカワスミ画廊/3・22−27)出品 「男女の写実的彫刻を石膏で作り、盲自転車に乗せて出品」 4月 グループ「SWEET」展(新宿第一画廊/4・23−28)出品 [出品者]三木富雄、赤瀬川原平、小島信明、田中信太郎、石崎浩一郎、吉野辰海、豊島壮六、中西夏之 5月 グループ「SWEET」展(ルナミ画廊/5・26−31)出品 5月 個展「矢印展」(桃山画廊/5・28−6・3) 「両端が矢尻になる赤い巨大な矢印をトンゴロスを縫い合わせた10mのキャンパスに描く」 9月 個展(内科画廊/9・1−14) [絵画]〈DANGERIS MY BUSINESS[デインジャー・イズ・マイ・ビジネス]〉 〈DRINKMORE[ドリンク・モア]〉〈SCARFACE[スカーフエイス]〉〈DRINK・・・ DRINK[ドリンク・・・ドリンク]〉〈IT`S A CRIME[イッツ・ア・クライム]〉等 9月 第7回シェル美術賞展(白木屋画廊/9・13−18)出品 [絵画]〈LoveyLovelyAmerica[ラブリー、ラブリー、アメリカ]〉(佳作賞) 「落選を重ねているこのコンクールの縮切日が追っていた。どうせなら派手にと素材を物色しに浅草橋の問屋街をうろつく。天井まてとどく巨大なプラスティック製のブドーやトーモロコシを絵に付けたいが値段が高過ぎる。以前から生もの、カレーライスや生さた力二を絵にくっ付けたいと思っていたが、今回は中味の入ったコカ・コーラのビンを石膏の手に握らせ、4本横一列に並べて100号のキャンパスの中央に取り付け、パックは蛍光グリーン、レッドで星条旗をきちっと描き、DRINKMORE(ドリンク・モア)と黒で大書した。この作品が佳作で入選2000円をもたらしたのには呆気にとられた。時代が我々を迎え入れだしたのを感じた。」 1964年 昭和39年 32歳 1月 30日、「反芸術」シンポジウム(ブリヂストンホール)に飛び入り参加 4月 個展「日本衛生草紙」(内科画廊/4・20−25) 「浮世絵春画からヒントを得た作品」 6月 「オフ・ミユーゼアム」展(椿近代画廊/6・17−22)出品 [絵画]〈作品〉 [出品者]土居樹男、オチ・オサム、稲浜美材、深沢七郎、清水晃、須賀啓介、白石かず子、宮田国男、刀根康尚、市毛富美子、田村敦、浅川邦夫、田辺三太郎、木下新、三木富雄、中西夏之、藤井健男、豊島壮六、山口勝弘、森口陽、武田倫明、坪内一忠、高松次郎、小島信明、佐野正義、田中信太郎、吉野辰海、大野博、赤瀬川原平、滝口修造、幸美奈子、小杉武久、久保田成子、ハリー 7月 個展(内科画廊/7・20−25) 9月 第8回シェル美術賞展(白木屋画廊/9・4−9)出品 [絵画]〈エアメール〉(佳作賞) 「外国郵便の封筒を拡大した作品」 9月 「祝・渡ニューヨーク篠原・木下2人展」(内科画廊) [絵画]〈ゴッホと王の顔のあるエアメール〉〈エアメール〉〈57貫〉〈ビートルズ〉 等 11月 28日、「ロバート・ローシェンバーグヘの全開質問会」(草月会館ホール)に〈思考するマルセル・デュシャン〉を出して参加 12月 「レフト・フック」展(椿近代画廊/12・8−13)出品 [絵画]〈ドンショランダーと四つの金メダル〉〈ビートルズ〉等 [彫刻]〈思考するマルセル・デュシャン〉〈イミテーション・ボックス〉 [出品者]田中信太郎、吉野辰海、小島信明、坪内一忠 12月 個展(内科画廊/12・16−21) 「アメリカ人気作家、ジャスバー・ジョーンズとラウシ工ンバーグの作品、三重の星条旗、コカコーラ・プラン、バレンタイン・ビール・カンを白黒の写真から模倣。色彩、素材は極端に派手にして出品。これらをイミテーション・アートと名付けた。」 |
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