篠原有司男の底力 2 美術手帳 1995年10月号 掲載
武蔵野の片隅の空き地で作品制作の毎日。 世界に発信するには? 浮世絵は十九世紀末のヨーロッパに大影響を与えていた。 モネ も ゴッホ も ロートレック も。 よーし、これが下敷きだ! 蛍光塗料をふんだんに使った、花魁シリーズの三十点の絵はたちまちパリ青年ピエンナーレの代表作となっていた。
まず第一は、うちは四畳半でカネがなくて、絵描きの条件がぜんぜんそろってない。 西洋の人たちに比べてアトリエは狭いし、絵具はないし、情報はないし、外国語はできないし、日本という東洋の片隅でしか仕事ができない。 しかも、荻窪の端っこであるという条件を逆手に取って、これこそ世界に発信する最高の 「地の利」 であるととるわけ。 マイナスの特徴を逆に全部プラスにしようとするわけ。 「ボクシング・ペインティング」 が平気でできたのも、実存主義のおかげなんだ。 もうひとつ、 「イミテーション・アート」 というのがあって、コカコーラの瓶を三本持ってきて、ラウシエンバーグの 「コカコーラ・プラン」 という作品を真似してつくったら、同じものができたわけね。 コカコーラの瓶は世界共通で、日本でも買えるし、アメリカでも買えるわけ。 同じサイズのもので白黒の写真から真似したら、すごいフレッシュなものがぼくの手でできた。 おふくろが見て 「おまえ、ひとの作品を真似して恥ずかしくないのか」 という批判も受けたけど、自分としては、恥ずかしい、泥棒をしたような気持ちと、もうひとつなにか新しいものができ
バミューダ島
バミューダで制作する三木富雄組 Tomio Miki Group Working in Bermuda 1987年 207×174 cm アクリル・キャンバス 徳島県立近代美術館
ニューヨークというのは出稼ぎの街だから、カネ、カネ、カネなわけね。 そのあいだにいっさいの感情、センチメンタリズムがない。 カネを貸してくれる友だちもいなければ、親もいない、子もいない。 銀行なんてぜんぜん貸さないなかで、ゲンコツ一個で生きていくんだから、じつにすさまじいよね。 ぼくは日本でだったら評論家と対等に話ができたんだけど、アメリカに行ったとたんに、評論家の名前は知らない、顔も知らない。 美術マスコミはいっさい関係なくて、言葉はできない、作品だけでモノをいわなきやならないという極限状況でスタートしたから、やっぱり作品が強くなるし、おしゃべりになるし、人をひきつけようとするものすごい強い力をもたなきやならないし、しかも、売れなきやならないという最大条件があるわけ。 そういうぶうに生活と芸術がいっしょになって進行していくからね。 生活をエンジョイしすぎて絵がおろそかになった人はたくさんいるね。 絵にそんなに苦労したってしょうがねえだろう、ということになるわけ。 そこで差がついてくるんだけどね。 やっぱりアメリカとか世界のトップのアーティストに戦いを挑んで、関心をもたれて、仕事をしていくには、自分に知性と厳しさと力が必要だね。 それはひじょうにエネルギーが要るよね。 そういう意識を支えるエネルギーは、ニンニクとかをバンパン食ったりしていても出ないし、むずかしいよ。
渡米後キャナルストリートのロフトで花魁の大作を制作中 1970
リトルイタリーの酒屋にて 1985
|
Copyright (C) 1999-2005 New-York-Art.com All rights reserved. New-York-Art.com
|