現代美術とは
日本ではほとんどの人が19世紀後半に美術史的に考えれば、それ程大した事でもなかった印象派を神のごとく崇め、金科玉条として来た。印象派もそれ以前からある美術史上の流れの中で現れてきた一派にすぎなく、当時では現代アートだったのが何故かまったく忘れさられてしまった。当時はエコールドパリ=アカデミズムの全盛であり、特権階級のサロンでは酒のサカナとなる格好の話題であった。日本の西洋美術史をふまえて考えるならば大事であり、これは日本のそれまでの日本史と不可分の出来事であった。アートだけに限らずおよそ全ての出来事はその時代の政治、社会、宗教、との密接な関わりがあり、それを抜きにして何事も有り得ない。当然アートもその時代のパトロンが存在しなければ、又もっと書くならばそれぞれの分野でのプロパカンダの最高手段であった。どの様な教会、寺院、神社を見る機会があれば、その時代の権力者、統治者、独裁者が自分の偉大さを表現するのにアート位(この場合のアートは単に絵画のみならず彫刻、建築、デザイン等を全て含む)誰にでも説得、一目瞭然の解りやすいものはない。このような視点からアートを考え見るとある意味では圧倒的なその時代を背影せざるをえなかったものである。例をどの作家でも良いのだが、ミケランジェロのパトロンは、ローマ法王であり、ルネッサンス美術を語るにはフィレンチェのメジチ家の存在を知らなくては書く事もできない。と同様に現代美術を紹介するにあたって、何故美術の都と呼ばれていたパリからNYに移ってしまったかを解説できないのが分かっていただけると思う。以上述べた事をこの「NY ART」の読者に私共の意見は当然、常に書くとして読者の方々からの忌憚のない意見、感想、サジェスションを取り入れながらリアルタイムにこのホームページを一緒に作って行きたいと思います。現代アートは解らないと一言でかたづけるのではなく如何にすれば解るようになるのかの手掛かりになればこれ以上のこの「NY ART」を編集責任者としての喜びはありません。誤解を恐れずに一言で書くならその時代時代の先取りをしているのが美術の本質である。これはその時代における哲学(人間とは何ぞや)との難解な理念を誰でも観れば解る、心が和むには各々の作家が描いた絵である。それでも「絵は解らない」と一言で片付けて興味を持てない日本人がほとんどだと思う。そのような人にこの「NY ART」をアクセスしていただく事によって、日本の「眼からウロコが落ちる」とのことわざを感じて頂ければ幸いです。以上のような事を成就したいのが希望でもあり、それを目指して行き、ひいてはアート だけでなくアート教育にまでもっていきたく考えます。分かりやすく書くとの編集方針で、このマガジンの最終目的でもあり、教育=他人に教える難しさを知っているが故に、全読者と一緒にこのマガジンを読み、作っていくと考えます。
編集者 藤尾諭秀