INTRODUCTION
Yoko Ono. What comes to mind?
オノ・ヨーコがNYで芸術活動を始めた1960年代初頭からの激しい風評が、彼女のパブリック・アイデアを形成した。 彼女がしばしば批評家たちを困惑させていたとき、精神を解放するという芸術の力を信じる彼女の気持ちは、何百万という人々の心に触れていた。 アーティスト、詩人、音楽家として時代の文化的最先端に身をおきながら、境界を越えることを阻もうとする保守的な人々に彼女はうんざりしていた。 それでも彼女は新しい芸術を開拓する先駆者として何度も苦境から抜け出した。 夫ジョン・レノンと共に世界広告的な平和活動をした反戦活動家としての彼女は、公共教育のようなものを施していた。 それは深く、前向きで変化を巻き起こすメッセージ “Imagine”「想像せよ。」である。
オノ・ヨーコは世界で最も有名な知られていないアーティストである。 全ての人が彼女を知っているが、彼女が何者なのかは誰も知らないのである。
タイトルに使われているYESの言葉は、1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーでオノ・ヨーコの作品に使われたものである。 そこでジョン・レノンと彼女は出逢った。 彼ははしごで天井へとのぼり、そこで小さく書かれたYESという言葉に出会った。 彼にとって、それはとても前向きで、救われた気がしたということである。
オノ・ヨーコの芸術は、直接的であり、視覚化という行為を通して理解する精神の力に対する信念を表している。 彼女は最小限に、風刺的に、詩的に言葉を操る。 それは私たちに夢見ることを、希望をもつこと、想像すること、YESを考えることを導くためのものである。 彼女の言葉は、観客参加型の社会芸術であり、抽象的に鑑賞されるだけではなく、実際に現実性が構築されてゆくものである。 彼女とジョンが1969年に発表した“War Is Over! / If You Want It.”では、交戦国に打ち勝つ可能性は、平和を取り戻せる可能性は私たち自身の想像力によるということを示している。 彼女にとって芸術の目的とは、真実の創造者となる精神を押し出すためのものである。
WAR IS OVER! IF YOU WANT IT
Yoko Ono and John Lennon
1969
Billboard installed in Times Square, New York
Photo courtesy of Lenono Photo Archive, New York
©Japan Society
芸術と生きることの二つは、反対することでも同意することでもないと、ヨーコは主張した。そして彼女の作品は、他の芸術家のように生きることを模索するようなものではない。 むしろ彼女の目的は、私たち人間の不合理性を合理化するための「儀式」を通して、日常生活に組み込まれた芸術の意識と同化することにある。
オノ・ヨーコの芸術の始まりには、フルクサスとの深いつながりがある。フルクサスは1950‐60年代に前衛運動を巻き起こしたグループであり、それまでの芸術を否定することを、その旨とした。 またそこには、禅やジョン・ケージに影響を受けたあらゆる分野の芸術家が集まっていた。 彼女の実験的かつ直観的な芸術は、戦後の実存主義的な考えを打ち出した国際的な前衛芸術に、東洋の美学を伝える重要な役割を果たした。 もし禅という仏教の意識があらゆる行為の創造性と同じであるならば、彼女の芸術を、意識構築の練習として見ることが可能である。
FLY PIECE
Fly.
1963 summer
LIGHTING PIECE
Light a match and watch till it goes out.
1955 autumn
アイデアはアーティストが与えるものであり、それは小波を起こすため水面に投げられた石のようなものである。アイデアは空気や太陽であり、誰もが用い、誰もがそれぞれの形体や肉体に従って満たされる。言葉によって構成された絵画は、不可視なもの、時間と空間の存在概念にゆれる世界を探求することを可能にさせる。そして時々その言葉は消え去り、全く忘れ去られたものとなってゆくのである。
1966年 オノ・ヨーコ
すべては偏見による歪みの蓄積である事実に、私は我慢できない。私は真実を欲するし、どんなに小さな意味からでさえも、私は真実を感じたいのである。私は真実を感じさせる誰か、あるいは何かを希求する。私は自分の意識を思うままに操ることについて信じることができる(できない)。虚構を虚構とした、つくられた真実とした見せかけのドラマという構造を生み出さないためには、真実を求める以外、他に方法はない。
1962年 オノ・ヨーコ
私にとってのイベントは、ハプニングのように他の全てのアートを吸収したものではないが、あらゆる感覚的な知覚の解放である。それは、多くのハプニングのように連帯感を得るものではないが、自分自身がその相手となるものである。また私のイベントにはハプニングのような台本がなく、願いや希望といったものが原動力となる何かをもっている。
1964年 オノ・ヨーコ
オノ・ヨーコの全ての作品には、「未完」の概念が蠢いている。彼女が初期につくった言葉の作品は、「頭の中で組みたてる絵画」と呼ばれた。彼女のインディカ・ギャラリーでの展覧会は「オノ・ヨーコによる未完の絵画とオブジェ」と副題が付けられていた。作詞や作曲、映画、音楽、オブジェ、インスタレーションといった彼女の長い芸術家としての道のりは、疑問を捜したり、その疑問に感情を奮わされたり、その探求の中で私たちと結ばれてゆく彼女の深い思いに繋がっている。オノ・ヨーコにとって、未完であること、終わらないことは優美なる儀式なのである。
Tokuo Noguti