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-CONCEPT-OLD記事

 

爆発は岡本太郎だけのものではない!

 

 ぼくがTシャツを脱いで拳に丸め墨汁にたっぷり付け、50枚の安ケント紙が横一列にコンクリートの壁に貼られてある、それに右から一気に爆発したのが、今を去る40年前。

 

 当時太郎さんは大作 『森の掟』 を二科展に出品爆発していた。

 

 

 

【森の掟】 【Law of the Jungle】

1950

Oil On Canvas

181.5 × 259.5 cm

©岡本太郎記念館

 

 

 大蛇が、ガオーと斜めに落下、可愛い動物達が左右に飛び散る、すごい迫力であるはずのこの大作から、僕は直接何の感動も受けなかった。 

 たかが一枚のキャンパスに絵具が薄く塗ってある、木枠に張られたもの、暴漢のナイフで簡単に破壊されてしまうではと心配になる。

 そんなこと云うならパリのルーブル美術館だって、よくぞナチの猛爆から免れたものだ。 

 ダンプカー一つあれば人類の遺産である美術の数々の名品もひとたまりもない。

 糞で描け! と僕はどなるけど象の糞を20~30個くっつけた絵がもう現れてるぞ!

 

 芸術は観念なのだ。 

 観念はそう簡単に破壊されない。 

 観念と戦うには観念が必要だ。 

 

 太郎の爆発は観念なのだった。 

 

 観賞者、すなわち、こちら側見る側が感動的人間であることが要求される。

 

 ”人生は感動的なのだから”

 

 だから爆発は岡本太郎でなく、こちら側が爆発しなければならない。 そして太郎芸術はまさにその時爆発し輝きを増すように出来ているのだ、凄いではないか。

 

 バーミューダ島の美しい夕日を背に、僕は道端の花を撮っていると、地元の散歩女性いわく、

 

「あなたのお国にはお花が無いの」

 

 だと、俺は日本人だぜ! 赤丹、青丹、猪、鹿、蝶 を知らねえのかよ、と云いかけたが、まてよあんまり美しすぎるこの島の人々には爆発は不必要なのであった。

 

 

 


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