旧友パイク氏と
「ムーン・イズ・オールデスト TV」 パイク・ナム・ジュンの謎
隣のロフトに住むパイク・ナム・ジュンに招待され東京から着いたばかりのぼくは、彼のロフトに一歩踏み込むと、そこは薄暗い、まさに倉庫そのまま。
壊れた数台のテレビと汚れた、これもストリートから拾った太い電線の大きな束が、フロア-に山積みになっているだけ。
“一体何んだ! これは”
一般にロフトを借りると、アーティストは自分流スタイルに作り変えるのが普通。本棚、ベッド、キッチン、テーブル、カーテン、窓に植木の花。
彼は云う、
“一年勉強したら、テレビ機械のイロハが解りましたよ。”
うーん。 このジャンクゴミの山から一体どんな作品を作り出そうと云うのか、彼の顔とゴミの山を見較べ期待に胸を膨らませた。
数ヵ月後、彼の属するフルクサス・パフォーマンス・グループの発表が、スタッテン島行き通勤フェリーを一晩借り切ってあると知らされ、盛夏の夕涼みをかね、マンハッタン南端、サウスフェリーから、見物客とぞくぞく乗り込んだ。
ひょいとデッキから大甲板を見下ろすと、9個の、光はつくが、映像の出ない壊れたテレビを上向きに並べ、ニ・三本の植木鉢で囲み、パイクはブラウン管の上に寝ころがり、体をのたうたせたて何と、終わりまで三時間以上、何と云う辛抱強さだろう。
頭が狂ったのかと思わせるほど不思議な、他のパフォーマンスとは桁違いに魔力のある、自分の信念に賭ける芸術情熱のすさまじさに僕は打たれた。
野原に集まった人々に、拾った使い捨ての録音テープを巻きつけながら走り回る、汗だくの彼の顔。
或日ホイットニー美術館のカフェのテーブルで彼の姿を見つけた。学芸員に自分のアートを説明しているらしい。
“お月様がどうのこうの”と聞き取れたが、ぼくらが席を立っても延々と演説は続いていた。
そして翌年同館で彼の大個展が開かれた。 中でも、だるま大師の掛け軸に穴をあけ、小型テレビをはめ込み、「TV仏陀」と題した作品を見た時謎が解けた。 彼パイクは、テレビを、ただの光る箱として位置付けたのだ。
番組内容、ニュースも星条旗も、バラエティーショーもコマーシャルも、すべて同価値、光る箱以上の意味を持たせない。 音楽家ジョン・ケージが地上に在る音全て、例えば下駄のカランコロンから、目玉焼きのジュージュー、ジェット機の轟音も含め音楽と名付けたように。
©Solomon R. Guggenheim Museum
今、グッゲンハイム美術館のナム・ジュン・パイク大回顧展の中で、白黒の12台のTVを使い左端の三日月が右端の満月になるまでの月の満ち欠けと、時間の流れを表現している作品がある。
これぞパイクのコンセプトだ。
「お月様が一番古くからあるテレビですよ」
とうそぶく彼のカリスマ性に僕は脱帽する。
©Solomon R. Guggenheim Museum