具体とネオダダ
Gutai and Neo Dada
1985
164 x 353 cm
アクリル・キャンバス
横浜美術館 蔵
ニューヨークの次郎長
第47回
増川の仙右衛門
ため息ばかりで、無言のままお客は、ふらふらと千鳥足で外に出た。 日の当っている黄色いペンキの壁に、苺は胸を押えてもたれかかった。 梅次が仙さんの顔を見て、
「ロから血が、あ、前歯が欠けてる、大変だ」
「くそ! 頭に来た、梅次兄い、かばん預かっててくれ、俺、もう一度乗って来る、このままじゃあ済まさねえ」
仙は、フィルムを超高感度、アーサー千に詰め替え、百三十五ミリ望遠レンズを付け、梅次に手伝わせ、自分の胸に、カメラをしっかり結び付け固定した。
「よし、今度は三十六枚、バッチリ切ってやる」
と、キップを買うのももどかしく、駆け込んで行っちまった。
次郎長は、鶴吉、花子、鬼吉を従え、海岸に座っていた。
「しかし、よくまあ、こんなじゃかぼこの体になっちゃうもんですなあ」
「全くだな鶴吉、女プロレスか、やせたもやし、きりぎりすばばあ ばかりじゃあねえか」
「ビーチか、芋畠か、区別なしですねえ」
「全くだ、黒いの、白いの、黄色いのが、顔は化粧して化けてるからまあまあでも、首から下、ボディーの醜さと云ったら、こう支離滅裂同じ人間同士なのに肉体が変形しちゃうんだねえ、食物のせいだろう、なめし皮のジョガー老人たちが、プロレス並みの肉だんごや、毛むくじやらに交って、よたよた、長生き競争に勝ち残ろうと、目ばかりギラつかせてやがる」
水泳の訓練など、プールの皆無な公立校に通学している子供が、まともに受けているはずがないから、やたらに沖に出たがり、たちまち波に飲まれて、あっぷあっぷ、砂浜に百米ごとに立ち並んだ監視台から、救助員が、ピーピー笛を吹きっばなし、このアルバイトのレスキュー部隊は、いきのいい金髪の、張り切りボーイたちで、多少おかしな泳ぎのやつは、たちまち、寄ってたかって、浮輪をかぶせ、引き上げ、うむを云わさず、担架で派手に、わーっと、救患所に担ぎ込み、強制休憩させてしまう。
ここは、高級避貴地のマナーなどおとといおいでの移民軍団ばかり、習慣が違うとは云え、チキンの骨や、ビールビンは砂浜に散らかし、海にまでソーダ缶を投げ込んで、ガードマンにどなられている。
「あら、親分、こんなところに居た、お化け屋敷の入りはどうですか、あの、この人、次郎長一家を取材
に、はるばる日本から来たんだって」
「へえ、申し遅れまして、失礼さんにござんす」
仙右衛門は、次郎長の座っているござの端に両手を突き、挨拶した。
「出過ぎた野郎だとおしかりを受けるかもしれませんが、今、このニューヨークでの、次郎長夜活祭大記念芸術展の成功ニュースは東京にも伝わっておりやす、この機会に、ニューヨークの清水一家、と云うテーマで取材してこいとの命令で、一つお話と写真など撮らしていただけると有り難いんでございますが」
「石松が、向うの践橋で釣りしてら、あいつに聞いてみな、面白え男だ」
「へえ、有り難うございます、では早速」
それっと四人は、砂をけって駆け出して行った。
ビーチのほぼ中央から、二百米ぐらい、木製の桟橋が、海に突き出していた。 幅広いここも又、歩行者天国の銀座通りの様に人で一杯だ。 ここも昔はさぞかし、だが今は得体の知れない移民の大群とごみだらけの特に下品なエリア。
海岸が、下品で、けばけばしい看板の食物屋や、ガキ相手のガタガタ電気自動車、悪趣味なお化けで一杯なら、ここは釣りざおや、カニ取り網をたずさえた連中で一杯。 魚を静かに釣るなど遠い日本の話、ラジオがガンガン、一匹でも釣れば、十人ぐらいがわっと群がり、大騒ぎ、鶏肉をエサに、金網四つ手で取りまくったカニが、大バケツに何杯もたまり、持ち帰ってスープにする。
釣りざおには、ポギーと呼ぶ小鯛やかれいがどんどん掛かる。 フライドチキン、ビール、ソーダ、綿あめ、ラジオに囲まれ、この践橋の上では、くずかごに板をのせ、博打まで始まっている。
一時間おきにパトカーが乗り込んで来るが、とことん追いかけて、ふん捕まえるのではなく、半分見物を兼ねたポリスのようだ。
この大喧騒の中に、一際(ひときわ)大きな騒ぎの中心が石松であった。