マルガリータを飲もう!
1981
200 x 160 cm
アクリル・プラスティック・キャンバス
ニューヨークの次郎長
第48回
増川の仙右衛門
寝床でも外さない、朱染めの海軍旗を中心に、左右に芸術維新と大書した鉢巻を、きりりと締め、裸の上半身は、引っかけた一杯が効き、まるで赤鬼、甚平(じんべい)のパンツは、王将、飛車、角、などが染め抜かれ、腹には無論竹光だが、赤ざやの大刀を一本背中側にぶち込んだ姿は、嫌でも仙右衛門たちの目に飛び込んで来た。
石松は、桟橋の手すりに片足を掛け、えい、えい、おう、と掛声もろ共、何かでっかい物を引き上げている。
十重二十重とガキたちが、期待に大目玉をむいて見下していると、ざあーっと海水をまき散らしながら、桟橋に引っばり上げられたものは、日本の掘りごたつ大の鉄製の四つ手網、えさの代りに一米大の鮫が、底にしっかりと、くくり付けてあった。
その引き裂かれた胴や頭の肉片に、ブルークラブと呼ぶ、食用になる大きなカニが、わんさと群がり、食い付いているではないか。
小魚や、得体の知れない海底の生物まで、一緒くたに桟橋の床にぶちまけられると、それっ、とガキ連が、おばさんも交えて、手に持った.バケツに獲物を投げ込む。
五十匹は下らなかった獲物が跡形もなく消えると、石松は、よいしょ、と超大型四つ手網を、ざばーん、と海に投げ込む。
「はやくあげてよ」
とせかすガキたちに向い、
「三十分に一度だと云ったぜ」
ガキは、香港製五百円時計とにらめっこ。 近づくと、五、四、三、二、一、と合唱が起り、石松は、それー、と大げさに四つ手を引きあげる。
「石松兄い、お初にお目に掛かりやす、手前生国は……」
「分った、分った、それ以上云うなって、この暑いのに長そでジャツ、大きなかばんとカメラを下げて、着いたばっかだな、懐もさぞかし暖けえんだろう、おしりのポケットの財布、盗まれない様に気を付けてろよ、この辺りのガキは、平気でナイフ振り廻すからな」
云われて見れば、さすがに、すばしこそうな連中だ。 肌の色こそ千差万別、黒、白、黄色とその中間色。
ニューヨーク・ジェッツの、シャツあり、ヤンキースの帽子、背の高いの小太りなのだが全員、無邪気な目付きで、石松の手元を喰い入る様に、目を離さない。
どんなに狂暴でも、ガキはガキだ。
「よし、時間だ!」
「わあー、何だあれ、見ろ、見ろ」
手すりから顔を出し、指差して騒ぐ見物人の中を、四つ手の中で、馬鹿でかい生物が、海水をはね散らし、もがき狂っているではないか。
ロングアイランド沿岸につながる大西洋の一部、この辺の海は冷たく、すぐ深くなる。
グレイホワイトシャーク、ジョーズの舞台でもあり、海底には、どんな怪物が潜んでいることやら。
日本のまぐろ船まで集まる、まことに神秘的海底、それだけに人間の期待も、誇大妄想に早変り、さあ怪物の正体やいかに。
金網も裂けよとばかり暴れまくる、やつの正体は、ちょうど座布団大のスティングレーと呼ばれる、獰猛(どうもう)な、えいの一種、尻尾の先に毒針があるはず。
こいつ、よっぽど腹が減ったのか、恨めしそうな目付きで、桟橋狭しと跳ね廻るこいつの背は真黒だが腹側はピンク色、真赤な、ちょうど蚊取線香の箱の大きさの口に、きばがぎざぎざに生え揃い、ぱくばく、何もない空間に向って、激しく上下させ、もがいているではないか。
桟橋は一瞬静まり返り、博打男も、手を休め、この化け物に目を奪われてしまった。
石松は背中の刀を抜くと、石突(いしづ)きを、ぐっと化け物の口の中に突っ込み、床に力一杯押した。
そしてポケットから、赤い柄の、大型スイスブレイドナイフを取り出し、ゆっくり刃を開き、ぶすっ、と押えつけた化け物のあごに、いきなり刺し立てた。
「ヒー」
周囲のため息をよそに、ナイフを上下させながら、ぐるり、とどぎつい牙の並んだあごを切り取り、床に投げ出してしまった。
入歯を抜かれたばあさんの様になったロから、鮮血があふれ出し、それでも必死にもがいている大魚を、
「よし、これで今夜の酒の肴が出来た、記者さんよ、行きますか」
「は、はい、では私がタクシーを止めて参ります」
苺、梅次、豚熊を従え、四つ手網と獲物の魚をぶら下げて、桟橋を引きあげる石松の背を、大西洋から夕日が照らす。
増川の仙右衛門は、重いかばんを肩に、その前を、イエロータクシーを探しに、駆け出して行った。