ドリンクモア
Drink More
1992
24 ×14 × 10 cm
プラスティック板・カラークレー・FRP
カードボード・アクリル・プラスティック
ニューヨークの次郎長
第55回 たこ目、失恋す
「オーケー、気を付けてやれよ」
パトカーのドアーが閉まり、エンジンの音が遠くなって行った。
「助かった、信じられねえ、泥棒も見逃がしてくれんのか、この国は」
「よく見逃がしてくれたなあ、久七、金でも払ったのか、まさか、けちなお前さんが、そんなことする訳ねえもんな」
「ふうー、さあもう一息だ、ポリスは済んだが、静かに運ばねえと、またポリスの奴が、しゃしゃり出て来ねえとも限らねえ、まあ、そろそろ行こう」
やっと、荷台の低いトラックに運び終え青い顔をしたフランクが、疫病神(やくびょうがみ)でも追い出すように、そそくさと、ドアーを閉めた。
エレベーターで、金閣寺の地下室に運び込まれたピアノを見て、猿は大いに御満悦の態、しかしよくも、こんなに、がらくたばかり集めやがったなあ、鬼吉は驚いた。 鬼がわら、神社の絵馬板、きつねから、大鈴、鼻の欠けた石地蔵まで、その間に、血色の悪い日本人が、修理に余念がない。
「えらい目に会わされたなあ敬二、ニューヨーク到着早早、泥棒の片棒担がされて」
ぞろぞろ表通りに出ると、金閣寺玄関脇の壁の下に、これも血色の悪い男が、赤い、毛せんを敷き、座って、何やら、筆で書いては並べ、通行人が興味を示し、立ち止って、見下している。 男は、和紙に、墨汁で、幸運と書くと、ラッキーと云う意味です、と説明している。 そう云えば、天皇とか、魂、侍、富士山、愛、などの字が、すでに書かれ、並べてある。
「ねえ、弁護士と書いてくれない、私の連れ、ロイヤーなの、そこの金縁の色紙がいいわ、十ドルでしょう、最高弁護士だって、書ける」
「難かしいなあ、今 字引持ってないし」
「適当に誤魔化してさ、彼、どうせ読めないから」
何とか書き、細筆でサインし、もっともらしく、朱の落款(らっかん)まで押して渡した。
「はい、十五ドルあげるって、チップよ」
「ありがとうございました」
「ふ-ん、お前、久七の子分か」
「あ、清水一家の鬼吉さんじゃあ、大勢さんで、一杯やってますねえ、うらやましいなあ、景気よさそうで、私なんぞ、夜中まで、ここに座ってるんですよ、うちの親分は、金に厳しく、稼ぎ悪きゃあ、おまんまもろくに」
「本当かい、今時、そんな 山椒大夫(さんしょうだゆう)みてえな話、聞いたことねえよ、元気出せ」
「へえ」
「よし、鬼吉様が、その色紙に、揮毫(きごう)してやる、こんな、腹の減った、うなぎみてえな字じゃあ駄目だ」
鬼吉は、墨汁を缶から、道路に直接、どっと、流し、履いているわらじに、これは高価だからと出し惜しむ色紙を、数枚ひったくり、並べ、えい、えい、と、力一杯踏んづけて行ったからたまらない、墨が跳ね飛び、黒い毒ぐもの様な形が、ばっしゃ、出来上がった。
「どうだ、傑作だろう」
植木屋の為五郎は狂喜した。
「すげえや、鬼兄い、じやあ、俺も一つ」
今度は、地下足袋で、残った色紙全部を踏んづけた。 足袋の底の格子模様が、奇麗に出た。
「これは将来、値打ちが出るぜ、あばよ」
増川の仙右衛門がロフトに帰って来ていた。 コップ酒をあおりながら、上機嫌だ。
「野郎、首尾よく行ったな、この分じゃあ、仙さん、やけに嬉しそうじゃあないですか、一発出来たんでしょう」
鮫が、にやにやして坊に座ると、仙右衛門は大笑した。
「黒人のタクシーつかまえて、女に会わせろと云ったんだ、すげえ汚ねえビルの入口に止めて、ここだ、上って行けと云ったんで、階段を登って行くと、明りの付いたドアーががあった、誰も居ないけど、真中に、シーツを敷いたベッドがあるんで、俺は、そこに横になったら、寝込んじゃったらしい、気が付いて起き、そのまま帰って来たんだ」
「ヘー、何もしないで、よく殺されなかったなあ」
「ポケットは空だった、誰かが、寝てるすきに、取っちまったらしい、そのまま、歩いて帰って来たよ、ふわっはっは」
「ハーレムから歩いてか」
「さあ、昨日着いたばかりの俺だ、どこがどこだか、大勢黒人が居たなあ、そう云やあ、とに角、こ
れで俺も、一人前のニューヨーカーになったんだ、乾杯、乾杯」