キャンディー・ウォー
Candy War
1980
50 x 60 x 80 cm
カードボード・プラスチック
ニューヨークの次郎長
第66回 大迫カの三人展
どこを探しても、石松は見付からなかった。 どこに雲隠れしちまったんだやつは。 長身の栄五郎は羽織はかまで、びしっと決め、石松の制作した三つの大作を、詰め掛けた招待客たちに説明しているが、どれも、人物中心の半立体的絵画で、木切れ、紙筒、段ボール、タイヤ、空缶、折れた古バシゴまで、容赦なくたたき付け積み上げられ、これ以上薄汚なく出来るものかと、塗りたくられている、針金で結ばれ築き上げられた、ガラクタのすきまに、人物のドラマが隠されていた。
第一話が、自分の生と引き換えに、酒を愛してしまい、老いさらばえても、酒瓶を抱えて離さない男たち。
第二話、淫乱の果てに、カバやサイに犯される女。
そして正面、ひときわ大きく、生まれながらの悪業の数数に、あきれ果て、自ら、地獄の竹槍の山に、逆さに墜落して行く、放蕩男。
天井の、青、紫の、故意に暗くした電球の光が、汚なく塗りたくられた人物たちの顔や手足を引き立て、淫乱女の下腹は、息づいているようにリアルであり、ざんばら髪の放蕩男の表情は、あまりにも凄惨(せいさん)で目をそむけたくなる。 それもそのはず、女は、何と、すだれの猿自身、アル中は豚熊と梅次、放蕩男は無論、石松本人ではないか。
石松の命令で提供した、猿をはじめ連中の体は、素っ裸にむかれた上、絵具でめためたに汚され、壁に積まれたガラクタの中に押し込められ、開始からもう2時間以上も、作品化し、不動の姿勢でしがみつきっ放し。 猿の腹は波打ち、筋肉は硬直し、けいれんし出しているのに、トイレにも立てず、鑑賞者の真剣な限差しに射すくめられ、もう息も絶え絶えの有様、これでは絵の題名通り、本当に地獄の責苦ではないか。
最後の部屋に、親分次郎長の傑作が飾られていた。 大勢の旧友に囲まれて、得意満面で入ってた栄五郎は、絵の前に茫然とたたずんでしまった。 しかも、しばらくして、彼の目から、数条の涙が流れた。 招待客たちは、この物すごい次郎長画と、涙を交互に見較べ、しばし無言。 心血を注いで制作されたこの次郎長画は、今を去る1941年、12月8日、美しいアメリカの避暑地ハワイ真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊に、我が帝国海軍の零戦三百機が猛攻撃を浴せている図であった。
黒煙、白煙が、もうもうと天にも届くその下に、敵戦艦、オクラホマ、テネシー、カリフォルニヤ、旗艦アリゾナ号が、正に、ぐれんの炎に包まれ沈没中。 爆弾、魚雷を雨あられと投下中の零戦が、キラキラと美しく飛び交い、特殊潜航艇から発射した魚雷の航跡が、幾条も敵艦を襲っている。
栄五郎は、去年のハワイ観光流行で、パールハーバーツアーに行ったことを思い出していた。 迎えに来た乗合いバスで、一行は、まず大きな映画館に、他のツアーの連中と一緒に連れ込まれ、真珠湾攻撃の実写フィルムを十五分間見せられる。 轟音と煙の中に、次次と沈む軍艦、アナウンスは日本海軍のこの奇襲は、宣戦布告の数時間も前に始まり、おかげで練習と間違えたアメリカ海兵隊員の尊い命が二千五百人も失われたことを強調する。 美しいハワイの花畠や風景を見物中なのに、いきなり眼前にこんなものが現れびっくりしたが、若者たちは、四十年前の戦争など我関せずで、どんどん出てしまい、白髪混じりの五十代たちが、胸を締め付けられながら、椅子を握り締め、見入っていた。 終ると、ボートで、海上に建てた美しい記念碑に向う。 この海底に今でも旗艦アリゾナ号が、赤さびだらけで沈んでいるのだ。 マストの一部が海上から顔を出し、澄み切った海水をのぞくと、魚の群れが艦体に沿って泳いで行くのが見えた。
人生の三分の一を、このアメリカで過して来たとはいえ、栄五郎が来たのは、終戦後。 大戦中は日本にあって、軍の要請で、戦争画を描かされた経験もあったが、今は遠い昔のこと。 だが清水の次郎長は、その戦争画を、派手派手極彩色で描き倒し、今、ニューヨークのど真中で突き付けて来たのだ。
まさか、これをやるとは誰も思わないだろう。 リメンバー・パールハーバーの意味は、アメリカ人なら誰でも胸に焼き付いているはず。 もう一度日本人はアメリカと戦争する気か。 栄五郎の胸中に、戦争はとっくに終っているが、やはり敗戦国の人間が戦勝国に、はるばるやって来て、生きた30年間の中で、くそ俺たちが勝っていたらばなあと、歯を喰い縛った経験があったろう
涙は彼自身でも、どうしてあふれたのか分らないに違いない。
「清水の、よくやってくれた、これはすごい絵だ!」
「わっはっはっ、大前田の、気に入ったかい」
もう一人絵の前で紋付きはかまのまま、土下座し、じっと頭を垂れっ放しの人物が居た。
セントラル・パーク、公園課、日本庭園係。 五百本近い盆栽の世話に命をかけている、アーレン・星月斎助右衛門であった。 十四歳でアメリカに渡り、盆栽をいじって実に70年。その間一度も日本に帰ったことがない。 突然、眼前に出現したこの絵に、彼も栄五郎と同じ心境に浸っているのだろう。