ナム・ジュン・パイクの歴史
1932年 韓国ソウルで生まれる。
1950年 朝鮮戦争を逃れ、香港、日本へと移住。
1956年 東京大学文学部美学・美術史学科を卒業。
卒業論文「アーノルト・シェーンベルグ研究」
1956-1958年
ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。
フライブルグ高等音楽院で作曲を学ぶ。
1958-63年 ジョン・ケージと出会う。
ケルンのWDR電子音楽スタジオで働く。
1959年 デュッセルドルフ、ギャラリー22でパフォーマンスを開始。
「ジョン・ケージへのオマージュ」
1961年 フルクサス運動のリーダー、ジョージ・マチューナスと出会う。
ストックフォルム、ケルンでパフォーマンス。
1962年 フルクサスの活動に参加。
デュッセルドルフ、アムステルダム、コペンハーゲン、パリでパフォーマンス。
東京、ローマでの展覧会に出品
1963年 デュッセルドルフでパフォーマンス。
西ドイツ、ブッパータールのパルナス画廊で最初の個展。
電子技師、阿部修也と日本で出会う。
「ロボット K-456」の制作。
電磁石とTVを使った実験を行う。
アムステルダムでパフォーマンス。
1964年 ニューヨークへ移住、シャーロット・モーマンと出会う。
ニューヨーク、フルックス・ホールでの「フルクサス・コンサート」においてパフォーマンス。
ニューヨーク、ジャドソン・ホールにてパフォーマンス、「ロボット・オペラ」。
フィラデルフィア美術大学にて、モーマンとの共演によるパフォーマンス。
1965年 ニューヨーク、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチにてアメリカでの初個展。
「NJパイク-エレクトロニックTV実験、3台のロボット、2つの禅箱、1つの禅缶」展
携帯ビデオカメラの使用を始める。
1966年 マルチ・モニター・インスタレーションを開始。
1967年 電磁石によって歪められた画像の制作を開始
1969年 パフォーマンス「参加するTV」、「生きた彫刻のためのTVブラ」をモーマンと共演。
「エレクトロニック・オペラ第一番」を制作。
「9/23 ディビッド・アトウッドとの実験」(ボストン、WGBH・TV制作)
1969-70年 ビデオ・シンセサイザーを阿部修也と制作。
1971年 パフォーマンス「TVチェロ」、「TV眼鏡」をモーマンと共演。
1973年 「ジョン・ケージに捧げる」、「グローバル・グルーブ」のビデオテープを制作。
1976年 ケルン芸術協会で大回顧展。
1977年 ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚。
ハンブルグ美術大学で教鞭をとる。
カッセル、「ドクメンタ6」で「TVガーデン」を発表。
1978年 デュッセルドルフ州立美術アカデミーで教鞭をとる。
1979年 同校でパフォーマンス「ジョージ・マチューナス追悼」をヨーゼフ・ボイスと共演。
1982年 ホイットニー美術館で大回顧展
1984年 1月1日、衛星中継番組「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」が
米、仏、西独、韓国などで放送される。
1986年 曹洞宗大本山永平寺に参禅。
1987年 ベルリン芸術アカデミー会員に選ばれる。
カッセル、「ドクメンタ8」に参加。
1988年 ソウル・オリンピックのために「多いほどよい」を制作。
1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに招待出品。
パイクは、多くの助成をグッゲンハイム美術館、ロックフェラー財団、アメリカン・フィルム協会などから受けている。また日本では、ギャルリー・ワタリ、ワタリウム美術館において展覧会を多数行っている。
個展、グループ展はそれぞれすでに100回を上回っており、その中で100を超えるパフォーマンスが行われている。またこれまでに、16本のフィルム、40近くのビデオ作品が制作されている。この驚異的な活動は、ナム・ジュン・パイクが20世紀の巨匠と呼ばれるにふさわしい芸術家であることを裏付けている。