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-CONCEPT-OLD記事

THE WORLDS OF NAM JUN PAIK

 

3.THE CINEMATIC AVANT-GARED

 シネマティックな前衛

 

 想像してみてください、ひとつの目を。その目は人間によって作られた法則に縛られたものではない。その目は論法による差別的なものではない。その目は名前や肩書きに応じるものではない。知覚という冒険を通して人生の出会いともいえる対象を知らなければならない目である。

スタン・ブラックヘイジ,1969

 

一般的な組み立てにおいて、私たちは先ずおおよその完成を思い描く、それは理想あるいは「アイデア」である。そしてその過程は、理想としての「アイデア」に近づくための苦しい努力を意味する。しかし実験TVの中で、そのことは完璧に修正された。普段私は制作の前に完成予想をもたない、あるいはもつことができない。先ず私は、導きを予測することのできない「方法」を求める。「方法」、それは巡回路の道筋をたてること、様々な「フィードバック」を試すこと、いくつかの箇所を切断し、そこに異なる波を供給し、波を段階的に変えることなどである。

パイク,1964

 

1980年代にビデオがますます映像技術を獲得したので、フィルムの割合は崩壊した。このことは、保守政党のロナルド・レーガンが政権をもっていた間、国が芸術を助成する芸術振興基金が失われていたためである。メディアが政治の場になり、芸術のための公的資金は減っていた。このような状況で、フィルムとビデオは寄り添うように融合を成し遂げた。二つの融合から生まれたプロダクションはデジタルの技術とともに、マルチメディアの時代を迎えたのである。

パイクの実験TVなどの偉業はシネマティックな前衛活動の歴史の中で際立っている。フルクサスやパフォーマンス、ニューヨークの芸術家やフィルム制作者の文化に国際的な繋がりをもつパイクは1960年代のメディア文化の出現と変動の中に存在していた。またパイクは、彼がひとつのスタイルでは芸術活動ができないことを、実験の必要性を、芸術家として理解していた。彼は、彼のまわりに出現する複雑なメディア文化を、活動的な関係をもつことで認識した。

今日、一般的なフィルムとテレビの歴史のなかで、フィルムとビデオの歴史、独立したフィルム制作者の役割は、しばしば失われるかそうなでなければ無視されている。美術史の研究家たちは、20世紀後期のフィルムとビデオの試みに不十分な注意を与えている。この二つのメディアが増殖し広がりメディアアートが増加している間にも、歴史から離れた試みは、未来に向けての十分な力を発揮することができない。そのような中で、美術の歴史と深い関係をもつパイクをきっかけに、フィルムやメディアアートの国際的な理解が深まることが期待される。

 

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