ソーホー地区にまだ沢山アーティストが住んでいた頃のお話。彼らにとってもご近所付合いは欠かせない。
なんせ古倉庫を改造したロフトは大家・消防署・コーエディソン電気ガス会社とのトラブルは日常茶飯事、 それをかわすには安い弁護士が必要。
移民の新参者の一行知識では、たちまち汗水垂らしてきれいにしたロフトも、書類一枚ですっぽり出されてしまうからだ。
生活をおもいっきりエンジョイしてからでないと絵筆をお取りにならないソーホーアーティストは多趣味の持主、中でもブーラメンの天才が今回のお話です。ウシオ
シノハラロフトでアレックス・クウカイ・シノハラにブーメランを教えるバーナビー氏
ニューヨークは今日も大変だ 2
ニューヨークで踊るワルツ!!
二年に一度の秀作展、ホイットニー・ビエンナーレを目のかたきにしている連中がいる。いわずと知れた、お呼びでない作家たちである。絶対選ばれるはずがないから反対もはげしい。なんとか場所を借り、反対展、ホイットニー・ビエンナーレ展が、同時に開かれた。
ソーホーの一郭にグランド・ストリートというのがあり、このストリート上の、展示に使えるスペースを、七ヵ所、一ヵ月間、なんとか手に入れ、中には金庫屋の店先から、中の売り物の金庫の上にまで彫刻作品を置かせてもらったり、空家を急遽手入れして、電球をつけるなど―――。無論、まともな画廊も三軒参加をよぎなくさせられ、作品の割りふりが大もめで、中でもフランス人のアランの持つ画廊は、彼の気に入った作品だけを強引に集めて並べるので、民主的でないと文句が出、僕の大作オートバイ彫刻の陰になる作家が逃げ出したりで、小規模な六〇年代のアンデパンダンを思わせる。僕ら夫婦のほかに、日本人は、頭髪を常時半分剃り落としている、クーシー増田が選ばれて参加。頑固おやじのアランの画廊のまんなかに、砂袋と丸太でヤグラを組み、全体に薄いゴムのシートをまきつけ包み、毎日定時に、クーシーが全裸でゴムの間をのたうちながら通りぬけるパフォーマンスがあり、アランは大感激でクーシーに抱きつき、キスの雨をふらせ、皆ポカンとしたり―――。とにかく一ヵ月の期間も終わりに近づき、マスコミには無視され続け、とうとう最終日を迎えてしまった。
結果的に見れば、このショーに関する唯一の記事は、『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に載った、クロージング・パーティーについてのものだけであった。
六時開演、飲み物持参、中で買うと出品者には二ドルのワインが一ドルに。入場は一般二ドル。だだっ広いホールの隅に、テーブルが四つ五つ。バンドもいなければ、ライトなどの装飾などまるでなしのシラけきった雰囲気。スピーカーからはなんと、三拍子のワルツばかりが流れ出るしまつ。こりぁいったいなんだ!
現われた主催者の一人、絵描きのバーナビーは黒の燕尾服をぴたっと着こなし(あとで聞くと、五十セントで路上で買って来たのだそうだ)、幅広いスカートでドレス・アップした美女と、まずテープ・カセットのデモスト・ワルツを一曲、見事に踊り出したのだから、またまた周囲は唖然。誰もワルツなど見たことも踊ったこともない。そういえば、このバーナビーはドイツ生まれ。しかし目をこらして見ると、彼はなんとハダシではないか。
ぼくは昔「水色のワルツ」で特訓を受けたことがあるので、なんとかこなした。通りの外からは、ウィンドー越しに、黒山の人だかり。皆ニヤニヤしながら覗き込んでいるだけで、誰も入ろうとはしない。黒人たちも俺たちの出番じゃあねえと、そっぽを向いていってしまう。
そのバーナビーが、ブーメランを山ほどかかえて、汗をかきながらコーヒー・ショップに入って来た。聞くと、自分はこれの世界チャンピオンだという。テレビ出演の時は、自分の頭の上のリンゴを、回転しながらもどって来たブーメランで切り落としたり、また日本の女子チームをきたえ、スウェーデン・チームとセントラル・パークで試合させたいとか言う。このブーメランとは、「く」の字の形の木製の飛行物体で、オーストラリアのアボリジニーが狩猟に使うのを、彼自身が改良、カラフルにデザインし、毎朝人のいない公園で、猛練習しているのである。彼は、宮本武蔵の英訳『五輪書』を熟読、投げる瞬間の呼吸を研究するほどのサムライ通で、とにかくソーホーのヘンな絵描きの一人。メキシコ生まれの絵描きで、アート・グエラというのがいる。「地獄草紙」に感動して絵を描き出した変わり者で、近作の、イースト・ヴィレッジのウォール・ペインティングは、付近にたむろするジャンキーの一人がモデルらしい。
シュナーベルだ、キースだとソーホーの派手な情報ばかり耳にするが、一味違うナイス・ガイたちが、猛烈にアートを楽しみながら生きている。また、この連中が大の日本文化ビイキで、何時か、まとめて京都に連れていってやろうと思っている。
(しのはらうしお・美術家)
アート・グエラ作イースト・ビレッジの壁画