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-CONCEPT-OLD記事

    岡本 太郎 年譜

 

50歳から64歳まで

 

【1961年 (昭和36年)】 50歳

    1月

 中央公論社より 『忘れられた日本〈沖縄文化論〉』 を山版。毎日出版文化賞を受ける。

 

    6月

 東京宝塚劇場・東宝劇団歌舞伎旗揚げ公演 「寿二人三番叟」の美術を担当。

 

    8月

 二科会を脱退

 

    11月

 カルピス相模原工場にモザイク・タイル壁画 《初恋》 を制作。


【1962年 (昭和37年)】 51歳

    4月

 東京・後楽園ボウリングセンターに、モザイク・タイル壁画 《赤 《青 の2面を制作。


    11月

 川崎市二子の多摩川湖畔に岡本かの子文学碑 《誇り》 を制作。

 

    12月

 東京池袋駅前広場にアルミ製クリスマス・モニュメント 《メリー・ポール を制作。


【1963年 (昭和38年)】 52歳

    2~3月

 フランス、イタリア、アメリカ、メキシコを旅行。

 

    4月

 東京国際見本市においてシチズン時計のディスプレイをし、また時計を組み込んだ 《涙のペンダント》 を試作。

 

    7月

 アントニオ・レイモンドと協力してディブス氏邸 (東京・渋谷) に、彫刻と壁画による浴室を構成。

 

    12月

 東京・也袋駅前広場に東京オリンピック記念の 《ヴィクトリー・ポール》 を制作。

 


【1964年 (昭和39年)】 53歳

    1月

 東京・池袋百貨店と銀座・東京画廊で個展を開催 (会場構成は磯崎 新)。 その後、名古屋、川崎、仙台、福岡など各地を巡回。

 

    8月

 東京オリンピックの参加記念メダルを制作。


  9月

 東京サンケイホールでのアキコ・カンダ・モダンバレーの舞台装置を制作。


 10月

 国立代々木競技場 (丹下 健三設計) に陶板レリーフとモザイクによる壁画を制作。


 11月

 韓国に取材旅行に出かける。



【1965年 (昭和40年)】 54歳

    4月

 伊豆・堂ヶ島ホテルの玄関とロビーに陶板壁画を制作。

    8月

 銀座・東京画廊にて 「鐘と炎」展 を開催。     

 

    10月

 名古屋・久国寺に梵鐘 《歓喜 を制作。



【1966年(昭和41年)】 55歳
    1月

 旧正月行事取材のために香港、マカオを旅行。

 

    7月

 伊豆急富士見ランドに陶板レリーフとガラス・モザイクによる壁画 《太陽誕生》 と、《太陽の鐘 を制作。  

 

    9月
 個展を開催。 (金沢、富山、福井、新潟などを巡回)

 

    11月

 銀座数寄屋橋公園に 《若い時計台》 を制作。

 

    12月
 沖縄を再訪し、イザイホーの神事を取材。

 


【1967年 (昭和42年)】 56歳
    5月

 山形県寒河江市役所市民ホールに 《光る彫刻・生誕 を制作。

 

    6月

 日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任。

 

    7~9月

 中南米に旅行し、テレビ映画 「岡本太郎の探る中南米大陸」 に出演。

    9~11月

 個展を開催。 (横浜、三重、甲府、水戸などを巡回)

 

 

【1968年(昭和I43年)】 57歳

    2月

 メキシコの大型ホテル、 オテル・デ・メヒコ の壁画 《明日の神話》 制作のために、現地にアトリエを購える。

    

    6月

 銀座・松屋で 「太郎爆発」展 が開催される。

 

    9月

 東京・山王の マミ会館 を設計。

 

    12月

 銀座の日本軽金属ビル1階ホール・アルミ美術館に 《愛の部屋》 を構成。


【1969年 (昭和44年)】 58歳

    4月

 日本橋・三越で創作デザインによる 「シャギー・カーペット」展 が開かれる。

 犬山ラインパークにシンボルタワー 《若い太陽の塔》 を制作。

 

    8月
 別府駅前サンドラッグ・ビル外壁に陶板レリーフ 《緑の太陽》 を制作。

 

    12月
 銀座の日本軽金属ビル1階ホール・アルミ美術館に 《仮面の祭り》 を構成。

 


【1970年 (昭和45年)】 59歳

    3月

 日本万国博覧会シンボルゾーン中央に 《太陽の塔 《母の塔 《青春の塔 を含むテーマ館完成。テーマ館館長をつとめる。

    7~9月

 「TARO爆発」展 がパリ、アルジェ、チュニスを巡回。


    12月

 銀座の日本軽金属ビル1階ホール・アルミ美術館に 《花びらの座》 を構成。

 


【1971年 (昭和46年)】 60歳
    2月

 日商岩井音羽マンションのインテリア構成を行なう。

 

    7月
 パリ、フォーブル・サントノーレの芸術祭 「街の美術館」 に彫刻 《樹人》 を出品し、祭の王様に選ばれる。

 

   11月

 名古屋にあるオリエンタル中村百貨店正面外壁に光る大壁画を制作。

 名古屋駅地下鉄エスカにシンボルゾーン 《幻想の広場》 を構成。

    

【1972年 (昭和47年)】 61歳
    2月
 札幌オリンピック記念メダル制作。

 

    3月

 山陽新幹線開通にあわせ、新幹線岡山駅に陶板壁画 《躍進》 を制作。

 

    4月
 東京後楽園ボウリングセンターに、モザイク・タイル壁画2面を制作。

 

    5月
 ミュンヘン・オリンピック公式参加メダル制作。 ミュンヘン市ハウス・デル・クンストでの 「シュールリアリスム」展 に 《傷ましき腕》  を出品。 (同展はパリ装飾美術館へ巡回)。

【1973年 (昭和48年)】 62歳
    7月

 ぜんちょう56mの飛行船に絵を描く。

 

    8-10月

 金沢市で開催の 「日本海博」 を監修、記念メダルを制作。

 

    9月

 毎日新聞社主催の 国際交通シンポジウム に建築家 フーラー、社会学者ルベルとともに記念講演。

 


【1974年 (昭和49年)】 61歳
    2月
 パリ国際センター落成式に招聘されて出席。

 

    3月
 パリで版画集 『アプストラクシオン・クレアシオン・ノンフィギュラティーフ 1932-36』 が刊行され、アルプ、カンディンスキー、モンドリアン等30人の代表作家の一人に選ばれる。

 

 NHK放送センター・ロビーにレリーフ壁画 《天に舞う》 を制作。

 

    8月

 きものの柄をデザインし、 《TAROきもの》 として発売される。

 

    9月
 姫路郊外夢前のニュータウン中央広場に噴水のモニュメント 《若い泉》 を制作。

 

    12月

 信州・野沢温泉にシュナイダー記念碑を制作。

 

 ロンドンのフランクリン・ミント社より銀製の飾額 《人間と太陽》 が、以降数年にわたり連作として山される。



【1975年 (昭和50年)】 64歳

    1月

 大阪・千里の万博記念公園に 《太陽の塔 の永久保存が決まる。

 

    7月
 パリ大学民族学教授ジャン・ルーシュの撮影による 「岡本太郎-マルセル・モースの肖像」 に出演。 イタリア・アゾロの映画祭で芸術家の伝記大賞を受賞。

 

    10月

 パリ国際センターに 《太陽と月》 《いこい》 《めざめ 《風》 《赤》 の5杖のレリーフを制作。


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