岡本 太郎 年譜
65歳から85歳まで |
【1975年 (昭和51年)】 65歳
1月
パリ・セゲール社より 『美の呪力』 の仏訳が刊行される。
3月
ロバート・ブラウン発売2周年を記念して、キリン・シーグラム社より 《顔のグラス》 が発売される。
4~5月
パリ市立ガリエラ美術館において 「TARO・OKAMOTO RETROSPECTIVE」 展が開催される。 これを、記念して画版集と画集が、エディシオン・ド・ラ・ディフエランス祉パリより出版される。
【1977年 (昭和52年)】 66歳
1月
三郷陶器より モーニング・セット 《夢の鳥》 を発売。
7~12月
スペイン国立版画院に、日本人で初めて鋼版画が収蔵される。
12月
ベルギーで製作した創作デザイン・トランプが講談社より発売。
1978年 (昭和53年)】 67歳
5月
日本で開催される国際眼科学会のシンボル・マークを制作。 同デサインによる記念切手と記念メダルが発売される。
9月
バリ・マジョルカ島を経て、バルセロナにガウデイの建築を見に行く。 (テレビ番組 「もう一つの旅」 に収録される。)
10月
福山市・はきもの博物館の中庭に 《足あと広場》 を制作。
【1979年 (昭和54年)】 68歳
1月
『週間プレイボーイ』 に 『人生相談・にらめっこ問答』 の連載を始める。
2月
札幌雪まつり30周年を記念するシンボル大雪像 《雪の女神》 を制作。
9月
『岡本太郎著作集』 (全9巻) が翌年にかけて刊行される。
10~11月
西宮市大谷記念美術館にて 「現代の神話-岡本太郎展」 が開催される。
【1980年 (昭和54年)】 69歳
2月
新宿・小田急線グランドギャラリーで 「挑む-岡本太郎展」 が開催される。 新宿西口広場において、絵画文字 《挑む》 の一時間の公開制作を行う。
4月
京都外語大学国際交流会館に陶板レリーフ壁画 《眼と眼-コミュニケーション》 を制作。
11月
東京国立近代美術館に暴漢があらわれ、 《コントルポアン》 が傷つけられる。
【1981年 (昭和55年)】 70歳
3月
原色豊かな 《鯉のぼり》 が発売される。
5月
姫路市・総合スポーツ会館正面にモニュメント 《躍動》 を制作。
7~9月
山梨県立美術館にて 「岡本太郎」展 が開催される。
11月
画集 『学ぶ字』 が日本芸術出版社より刊行される。
テレビCMに出演。 「芸術は爆発だ!」 が流行語となる。
【1982年 (昭和56年)】 71歳
3月
島根県国民体育大会 (くにびき国体) メイン競技場に、シンボルモニュメント 《神話》 を制作。
7月
青森県古牧温泉祭魚洞公園に、日本かっぱ祭りのシンボル 《かっぱ神像》 を制作。
12月
オリジナルテザインのテレホンカードとして 《遊ぶシリーズ》 の 《喜》 《楽》 《音》 《話》 の4点がNTTより発売される。
【1975年 (昭和51年)】 65歳
2月
山形県の観光スキー映画 「山形は白い国、岡本太郎のスキー」 に出演。
6月
大塚製薬徳島研究所の建物外壁に 《いのち踊る》 を制作。
8月
京都じゅらくより、振袖などのデザインを依頼され制作。
【1984年 (昭和58年)】 73歳
4月
フランス香水フェアシンボル 《香りの塔》 を原宿・ラフォーレ前に展示。
10月
鹿沼市市民分化センター正面にシンボルモニュメント 《夢の樹》 を制作。
12月
フランス政府より芸術文化勲章 (Officier de l'ordre de merite) を受ける。
【1985年 (昭和60年)】 74歳
3月
筑波科学博にシンボルモニュメント 《未来を視る》 を制作。
9月
横浜そごう屋上太陽のひろばにシンボル・モニュメント 《太陽》 を制作。
11月
青山・こどもの城にシンボルモニュメント 《こどもの樹》 を制作。
12月
イギリス・オックスフォード近代美術館における 「日本の前衛美術」展に 《森の掟》 《重工業》 を出品。
【1986年 (昭和61年)】 75歳
4月
この月より日本テレビ 「テレモンジアャ」 にレギュラー出演。 「なんだこれは」 が流行語になる。
12月
パリ・ホンピドゥーセンターで、翌年2月にかけて 「前衛の日本・1960-1986」展 が開催され、《傷ましき腕》 《憂愁》 《森の掟》 を出品。
フランス政府造幣局の依頼で 《太陽と月》 のメダルを制作。
【1987年 (昭和62年)】 76歳
3月
さよなら国鉄・新生JRメダル 《山発》を制作。
4~5月
NHK制作のテレビドラマ 「ばら色の人生」 に出演。
4月
三沢市古牧温泉、古牧第三グランドホテルに 《瑞鳥》 《天平瑞雲》 を制作。
【1988年 (昭和63年)】 77歳
4月
岐阜未来博シンボルモニュメント 《未来を拓く》 を制作。
4月
高知市市制100年を記念する シンボルキャラクター 《自由な私》 のデザインを発表。
9月
ダスキンのフリーデザインマットのCMに出演。
10月
船橋市わんばく王国公園にモニュメントモニュメント 《平和を呼ぶ》 を制作。
【1989年 (平成元年)】 78歳
7月
フランス政府より、フランス芸術文化勲章 (Grade d'officier dans l'ordre des arts de lettre) を受賞。
10月
福井県宮崎村村制100年を記念し、越前陶芸村公園に 《月の顔》 を制作。
【1990年 (平成2年)】 79歳
8月
岩手県藤沢市の縄文野焼祭・縄文サミットに参加。 シンボルとして 《縄文人》 を展示。
10~11月
名古屋市美術館における 「日本のシュールレアリスム」展 に、《傷ましき腕》 を出品。
【1991年 (平成3年)】 80歳
4~6月
川崎市民ミュージアムにて 「川崎が生んだ鬼オ-岡本太郎」展 が開催される。
5月
東京都庁の新宿移転により、56年に制作した壁画が保存連動の甲斐なく取り壊される。
11~12月
一二指腸潰瘍で慶応病院に入院。
12月
川崎市に主要作品を寄贈。
【1993年 (平成5年)】 82歳
4月
浦和市舞浜の公園正面に 《躍動の門》、モニュメント 《五大陸》 を制作。
4~7月
川崎市民ミュージアムにて 「TARO万華鏡-岡本太郎の華麗なる創造世界」展 が開催される。
川崎市名誉市民となる。
【1995年 (平成7年)】 84歳
8月
川崎市とどろきアリーナに6面のレリーフ壁画を制作。
11月
広島市現代美術館にて翌年1月まで 「岡本太郎」展 が開催される。
【1996年 (平成8年)】 85歳
1月7日
急性心不全により死去 (享年84歳)。