アート用語―コンセプチャリズム
60年代の芸術形式の多くがそうであったように、コンセプチャリズムも独自の形式を確立する以前に原型となるものが存在していた。コンセプチャルな仕事をしていたアーティストは、60年代よりずっと以前にいた。最も重要だった2人のアーティストは、ドイツのヨーゼフ・ボイスとフランスのイヴ・クラインである。ダニエル・ビュラン、ピエロ・マンゾーニ、アルマンなどのフランスの一部のアーティストは、50年代末にコンセプチャルなスタイルの作品を作っていたし、60年代初めには、ポップアートとわずかながらつながりのある、ダダイズムの追憶というべき作品を生み出していた。
この新しい風潮の源を推測する事はできる。ミニマリズムとフォーマリズムは、芸術の形式的あるいは素材的な特性こそ最も重要なものと考えられる知的風土を作り出した。しかし、初めに世界文化の物質的オプティミズムは解体し始め、1966年(ベトナム戦争での軍事介入により)には怒りと不安へと変わっていった。
しかし、新しい何かが展開し始めたのは60年代半ばになってからだった。カリフォルニアで1966年に、ジョン・バルデッサリが自分の絵を全部集めて燃やしたのである。同じ頃、ニューヨークのアーティスト、ジョセフ・コスースが「観念」「無」「客体」「究極の」「意味」「沈黙」などの言葉を辞書から選ぶことを始めた。コスースは―言葉の限界に注意を促した哲学者であるルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインを読んでおり―哲学的に極端な条件について、何が言い得、何が言い得ないかを示す事が出来るのを望んだ。
1967年に、彫刻家ソル・ルウィットが『アートフォーラム』誌に書いた「コンセプチャルアートのパラグラフ(観念芸術論)」という記事の中で、この運動を名付けた。「コンセプチャルアートにおいては観念あるいは概念が作品の一番重要な側面である。アーティストがコンセプチャルな芸術形式を用いるとき、それはすべての計画と意思決定があらかじめなされていてその実施はどうでも言い事柄だという事を意味する。概念が、アートを作る機械となる。この種のアートは理論的ではないし、理論を証明するものでもない。それは直感的であり、あらゆる種類の精神的プロセスとかかわりを持ち、そして無目的である。それは、アーティストの職人的な技術に依存する事のないのが普通である。
コンセプチャリズムは、容易にその枠を越え、他のどんなシステムをも包含する事となった。当時のほとんどのすべてのアバンギャルドアーティストがその影響を受けた。のちにはアースアーティストや、プロセスアーティスト、ボディアーティスト、パフォーマンスアーティスト等々として知られる事になるアーティストたちでさえそうであった。
「脱物質化」は、70年代初期を通じて影響力のある言葉でありつづけた。アーティストはシステムを分析したが、いかなる組織化された美学に組み込まれる事にも抵抗した。
その代わり、彼らは、崩壊、極度に身体的で情緒的な危機を作り出した。アーティストは、ときには文字通り、自分を身動きのできない窮地に置いた。彼らはおそらく、単に世界の状況に対する自分たちの直感的感覚を表現していたのである。