アート用語―抽象表現主義
抽象表現主義(アブストラクトエクスプレショニズム)
真の抽象表現主義者たちには、描く対象の持っている真の物質性を強調する事が極度に重要だと考えた。彼らはこの事をモダニズムの基となったものを推し進めるために、最も重要な洞察として位置付けた。絵画は還元不可能な物理的条件―平面性、縁と支持体(例えばキャンバスや板など)、そして一つあるいは複数の、様々な絵具―の組み合わせによって定義されると、彼らは認識していた。これらの質を研究し、また変化させることで、アーティストは絵画の様相をがらりとかえることが出来た。
抽象表現主義者の中には、「線で描く」派と「空間で描く」派があった。抽象表現主義の初期の段階においては、「線で描く」派の方がはるかに大きな影響力を持っていたが、自分たち「空間を描く」派はアートを空間と光に浸した。典型的なアーティストたちにマーク・ロスコー、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティル、アド・ラインハートがいて、彼らが及ぼした影響は寿命が長く、その後の世代に対して、より多くの機会を与えた。
彼らは典型的なニューヨーク派の抽象画の方法にならっていたが、結論は多少違っていた。ジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クライン等と同様、彼らも具象的イメージを払拭する事で画面を「一掃」した。1950年代には新しい抽象絵画は、無意識の動作(ジェスチャー)や即興、キャンバスに表現されたものとしてのアーティストの肉体的エネルギーという言葉で通常定義されていた。ほとんどのアーティストがこれらのアイディアを基に独自の路線を開拓した。自発性、あるいはそう見えるものに頼る事によって、アーティストは不安の入り混じった開放感に満たされてキャンバスの白い場に向かう事が出来た。そしてこの開放感こそ、主題を追いやって純粋な抽象を形成するのに役立ったのだ。シュールリアリストたちが実践したオートマティズム(自動記述法)は、ニューヨークで大規模に変容させられた後、このようにしてアメリカのアートに吸収された。
1960年代になると、ラインハートはゲシュタルト=知覚形態に取り組んだ。知覚の全体性が最も直接的に経験されるのは、枠も、継ぎ目もない知覚空間である「場」である。「フィールド・ペインテング」によって、キャンバスは主題や対象物のない、純粋な知覚経験の場と化した。ゲシュタルト的な場への興味は、1960年代、多様な形式を生みだした。ライト・アート、アース・ワーク、ミニマリズム、そして絵画さえも(例えばブライス・マーデンの単色キャンバスのように)新しい道を見出した。「ジェスチャー」と「場」は、絵画の性質において、抽象表現主義が与えた2つの革命的な洞察である。2つの重要な遺産が後に続くアーティストに残された。