モダンダンスの歴史
・ 第1世代の3人の女性ダンサー
アメリカン・モダンダンスは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、3人の女性、Loie Fuller(ロイ・フラー)、Isadora Duncan (イサドラ・ダンカン)、Ruth St. Denis(ルース・サン・デニ)によって最初につくられ、それぞれは独立して活動を行なっていた。当時アメリカにも、クラシック・バレエはあったが、質も悪く創造性にかけるものであった。バラェティ・ショウやミュージカルでもダンスはやっていたが、芸術としてではなく、エンターティメントの域を出るものではなかった。
ロイ・フラー(1962年~1928年)のダンスは、動きのテクニックと同様、コスチュームや独自の工夫を凝らした技術を重視した。
イサドラ・ダンカン(1877年~1927年)は、彼女についての本も書かれその生活は映画や演劇の世界でも取り上げられ、伝説的な存在になっている。
ルース・サン・デニ(1877年~1968年)は、フラー、ダンカンのさらに先へ進み、夫のTed Shawn(テッド・シャーン)とともに学校と舞踊団を創立し、アメリカにモダン・ダンスの観客をつくり出した。
・ モダン・ダンスと統合芸術へと高めた第2世代のマーサ・グラハム
Martha Graham(1894年~1991年)マーサ・グラハムとDoris Humphrey (1895年~1958年)ドリス・ハンフレイは、上記3人の課題を引き継いだ。2人とも自分たちの経験をもとにしたダンスを制作し、自分自身を表現する動きのスタイルを見出す必要性を感じていた。ハンフレイは落下と元の姿勢の回復をもとにしたテクニックをつくり出し、一方グラハムは、収縮と開放にテーマを置いた。
・ 第3世代をつくったグラハムの卓越した弟子たち
Merce Cunningham(1919年~)マース・カニングハムとErick Hawkins(1910年~?)エリック・ハウキンスはそれぞれ別のダンス・テクニックを考案した。Paul Taylor(1930年~)ポール・ティラーはテクニックを出さなかったが、すでにあるテクニックを研究して振りの独特なスタイルを展開した。
・ ポスト・モダンへの十国をつくったマース・カニングハム
マース・カニングハムが、他のいかなる創作家より現在のダンス方式に多大の影響を与えてきているのは確かだ。彼の作品は、ポスト・モダンダンスの創作を導くのに役立っている。一面ではそれは、グラハムのスタイルや芸術観に対しての反動として始まつた。彼は1945年グラハムの舞踊団を去り、作曲家のJohn Cage(ジョン・ケージ)と手を結び、モダン・ダンスのための新しい美学を開発し始めた。
・ ポスト・モダンダンスの母体となったジャドソン・ダンス・シアター
1960年代、Judson Dance Theater(ジャドソン・ダンス・シアター)はそのような状況をさらに前進させ、ニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジの教会でリハーサルと公演を行なった。グループのメンバーにはYvonne Ranier(イボンヌ・ラ二アー)、Meredith Monk(メレデス・モンク)、Alwin Nikolais(アルウィン、ニコライ)、Trisha Brown (トリシャ・ブラウン)等がいた。次世代ではLucinda Child(ルシンダ・チャイルド)、Laura Dean(ローラ・ディーン)、Alvin Ailey(アルヴィン・エイリイ)等がいる。
・ 独自の表現に到達したトリシャ・ブラウンのポスト・モダンダンス
ポスト・モダンダンスの特色としては形式的な構成やときには、ブラウンやGarth Fagan(ガース・ファガン)の場合のように、新しい動きのテクニック等が挙げられる。ポスト・モダンはドラマティックな表現を避け、強烈なエネルギーの冷たい鋭い刃のようにたえずきらめく。ポスト・モダンダンスとともに成長してきたビジュアル・アート(視覚芸術)、音楽、電子工学技術なども深い関係がある。
・ アメリカン・ダンスの新しい革命の予感
1980年代は、次の世代の生れる時代である。ガース・ファガン(西インド諸島生れ)、Mark Morris(マーク・モリス)、Bill T. Jones(ビル・T・ジョーンズ)、ヨーロッパではPina Bausuch(ピナ・バウシュ)等、目白押しである。