1月17日、篠原有司男ワンデイイベント:ボクシングペインティングは、レクチャー、パフォーマンス、対談、そして最近作(ペルーのフェスティバル、インティライミをテーマに制作された平面,立体作品)の展示という盛り沢山な内容となった。その日ギャラリーには、226人という大勢の人々がつめかけた。
レクチャーでは,篠原氏自身とロバート・ラウシェンバーグの、60年代の顔写真パネルを前に、当時の日本の美術の状況が語られた。そして、篠原氏の当時の作品である、イミテーションアートの代表作、コカコーラ・プランの実演再制作が行われた。(これはラウシェンバーグの作品を真似た物で、ラウシェンバーグ来日の折、彼からイミテーションの許可を得たという。)
60年代当時の自身の顔写真パネルを前に話をする篠原氏
右は,通訳の手塚美和子氏
Photo© S. Yoshida
イミテーション・アート実演再制作
Photo© Y. Yamazaki
建畠晢氏の肖像画を描く篠原氏
photo© S. Yoshida
次に、その日の対談者である、現在コロンビア大学客員教授、建畠晢氏をモデルに肖像画
を描く。肖像画といっても、たった3秒の凝視の後、一気に描きあげるというもの。これも、”早く、美しく,リズミカルであれ”というボクシングペインティングを行う篠原氏のうたい文句に通じる。この姿勢は、1957年、当時来日していたアンフォルメルの騎手の一人、ジョルジュ・マチウのパフォーマンスを目の当たりにして導きだされたもの。マチウに感化されつつもその時察知したのは、その問題点だったという。それは、即興をうたいながら未だバランスをとろうとするプランニング、そのためにかかる時間。篠原氏はそれすら排除すべきと考えた。そして誕生したのがボクシングペインティングだった。
ボクシングペインティング
Photo©Y. Yamazaki
ボクシングペインティング
photo© S. Yoshida
ボクシングペインティングは、1959年に新聞記者の目の前で、偶然生まれたという。当時は篠原氏自身でさえアートとは思わなかったというが、40年の隔たりを超えて、近年ではプサン、ウイーン、リオ、東京と、国際的な舞台で再び公開されている。しかし彼の活動の拠点、ニューヨークでは、今回が初めての一般公開であり、その日のメインイベントとなった。ギャラリーの幅一杯に設置された巨大なキャンバスの上を右から左へと一気に”殴り描き”。最後には、絵の具を吸ったボクシンググラブのスポンジが飛ちったほど。これまでは白いキャンバスに墨のような黒というモノクロだったのが、今回は、黄色いキャンバスの上に蛍光色の赤と緑といった鮮やかな色彩が選ばれた。モノクロの作品では、海外の視点から未だジャポニズム的な禅という先入的フィルターを拭いきれないと語る篠原氏、まだまだ挑戦は続くようだ。
対談中の篠原氏、右は建畠晢氏
photo© S. Yoshida
杉浦邦恵氏のフォトグラムのモデルとして、篠原氏のモノクロのシルエットがアメリカの美術雑誌、Art in
Americaの表紙を飾ったのが、昨年4月。そのシルエットがフルカラーで生の姿を公開した感があった今回のイベント。その日限りのナイトショーの予定が、様々な問い合わせが相次ぎ,ギャラリーでの1週間の作品公開が決まった。その一週間が終わろうとする前日、もう一度訪れた会場には、ボクシングペインティングの飛び散った絵の具がそのままで、パーフォーマンスのエネルギーをいまだ伝える様だった。
(Yoko Yamazaki)