アートシーンにもの申す
何故アメリカでは全てをアートと考えるか
思いつくままに論証しないで、書いてみます。この件にかんしては読者の意見、反論をいただいて後に、論証しながら書いてみたく思います。
ご存知のように、アメリカが現在のありようとしてイギリスから独立して、わずか220余年にすぎません。リンカーンの奴隷廃止声明により、人権の尊重が叫ばれ資本主義、それを正当化するのに民主主義を導入しました。それ故、また歴史が浅いのも手伝って何とかアメリカ独自の歴史を創るのにやっきになって来ました。
ある意味では、アメリカ程アメリカ人のアイデンティティを求めて模索した国は近代において類をみません。何しろアメリカインディアンを全滅に近くする事により、イギリスから移民して来たWASP(White Anglo-Saxon Protestant)が造った国であります。
ここから全てが始まります。すなわち伝統を重んじる本国から、様々な理由があるにしろ移住しなければならない事情があったのは想像にかたくありません。19世紀末から20世紀初頭にかけて、資本主義を代表する物質文明がT型フォードの出現に代表されるようになります。
第1次世界大戦に伴う武器輸出で益々大量生産に拍車がかかりフォードを初め大資本家が生まれてきました。ロックフェラー(石油)、カーネギー(鉄鋼)、メロン(銀行)等々のアメリカ(CAPITALISM)とあえて呼ばして欲しい資本主義が確立されるに至ります。
お金に不自由しなくなると、残るのは名声です。その当時現代アートであった印象派、後期印象派(皮肉なことに本場フランスのパリでは、ほとんどその価値を認められていなかった)を買いまくることになった。その所蔵作品を公開する為に美術館(アメリカではワシントンを除いて、ほとんどが私設美術館である)を創立しました。
その後、また第2次世界大戦が起こり(この両大戦ともアメリカは戦場でなく、ただ武器輸出をすることに依り益々富を増やした)結果、ヨーロツパからナチに追われた一流のアーテイストがアメリカに亡命して来た。これが決定的にアメリカ、特にニューヨークを世界のアートの中心地と足らしめることになります。
また、忘れてならない大事な要素として、今世紀をはさんで写真の発明に供なって映画(ハリウッドに代表される)の普及がある。ダンスが総合芸術と呼ばれる前に、映画により音楽、舞台美術、コスチューム等のその時代における最先端のものが動員されました。故に、
日本と違いお国(文部省)の指導によらず、自発的に発展したアートと意味づけることができたのである。俳優、ダンサー、ロック歌手、ファッションデザイナー、ヘアスタイリスト、等々がアーティストと呼ばれる所以である。
アートは何時も自発するものでなければならず、こうなる迄に数々の犠牲を払って来たのを決して忘れてはならない。
アートをアートと足らしめた原点がルネサンスにあるとするなら、何と長い時間がかかったのであろう。
東方の島国では、今だにお上が認めたものしか信用しない悪癖があるように思えてならないのは実に残念な限りである。