アートシーンにもの申す
日本とアメリカのアートに対する認識、定義の違い
先日、小渕総理大臣が自自公内閣を発足させて初めての訪韓となった。そのお土産の一環に日韓文化交流がある。その手段として、日本歌謡曲公演が日韓両国で人気のあるキム・ヨンジャさんにより韓国の光州市で「韓日文化交流の夕べ」と題されたコンサート が行われた。この公演では、日本演歌を代表する歌手美空ひばりさんの「川の流れのように」などの演歌数曲を熱唱した。この公演に小渕首相から祝賀メッセージが送られた。
このメッセージには「音楽を通じて日韓両国民の心を通い合わせる懸け橋としてますますご活躍下さいますよう祈念いたします」と書かれており、「何か変だな」との危惧を持ちました。
日本では、明治以来「芸術」と言う外来語を直訳した言葉が、-欧米では「アート」と普通使われている- 何の定義がなされないまま通用し大変な混乱を招いているように思う。
と言うのも、日本では多分文部省指導のもと芸術と芸能と区別(差別と言うべきか)があり、歌舞伎・映画・音楽(歌謡曲・ロック等)は役者、監督・歌手は芸術と思い、演じ、映画を作り、歌っていて当人は「アーティスト」と自称しておるにもかかわらず、そのカテゴリーは何故か芸能であり、芸能記者もそれを不思議にも思わず(思っても口には出さず、良しとしていて)問題にしようとは一切考えない。
その芸能の最たる筈である演歌が、文化交流の手段として利用されるのは「何か変だ」と読者諸氏はお考えになりませんか。
次号では欧米、特に「何故アメリカでは全てをアートと考えるか」をリポートしたく考えています。