篠原有司男とフォトグラファー、ウィリアム・クラインの再会
4月8日、写真展Paris+Kleinのオープニングにて
場所:エルメス:Hermes, 691 Madison Avenue, New York
(4/9~5/10, 2003)
1. クライン氏と談笑する篠原夫妻
photo©Y.Yamazaki
2. エルメスギャラリー風景
photo©Y.Yamazaki
ボクシング・ペインティングに打ち込む牛ちゃんこと、篠原有司男の1960年代の雄姿が、4月6日付サンデータイムズのアート&レジャー欄第一面に登場した。これは、フォトグラファー、ウイリアム・クラインによるモノクロ写真で、”ウイリアム・クライン、熱狂的な里帰りパーティーに身を投じる”(写真評論家リチャードBウッドワード記)と題した記事においてのこと。
クラインは、1948年以来パリに活動の拠点を持つニューヨーク出身のフォトグラファー。多才な活動を展開し、グラフィックデザイナーでもあり、またヌーベルバーグの騎手ゴダールなどとも共同製作した経験のあるフィルムメーカー。現在、長年にわたる彼の多角的な制作を回顧するクライン・フェスティバルが、彼のふるさとニューヨークで開催され,あちこちで様々な催し物が行われている。その一つが、エルメスのマジソンアヴェ二ュー店での写真展”Paris+Klein”。今回篠原夫妻がそのオープニングパーティーに招待されていると聞き、同行した。
3. クライン氏の作品の前に立つ篠原氏
photo©Y.Yamazaki
4. クライン氏と談笑する篠原氏
photo©Y.Yamazaki
篠原とクラインが出会うのは、1961年。クラインが、戦後の日本の生の若者の姿を捉えようと来日した折、評論家東野芳明が篠原を紹介した。当時東京荻窪で活動していた篠原は,経済的な理由からキャンバスではなく、50枚の上質紙を壁面に貼付け、丸めたシャツに墨汁でボクシングペインティングを公開し、それをクラインが撮影した。以来二人は長年の友人同士である。篠原は、クラインの写真が自身のデビューのきっかけになったと語る。(篠原が登場するクラインの写真集は、“東京1961”として出版されている。この写真集からのセレクション展が、ソーホーのホワード・グリーンバーグズギャラリー292(Howard Greenberg's Gallery 292)で公開中。5/3まで。)
5. ゲストにカメラをむけるクライン氏
photo©Y.Yamazaki
6. 写真集Paris+Kleinにクライン氏のサインをもらう篠原乃り子氏
photo©Y.Yamazaki
時にカメラをゲストに向けながら、入れ代わり立ち代わり訪れる人々に笑顔を絶やさず挨拶するクライン。近付いた篠原夫妻をすぐに認め,周囲に彼がボクシング・ペインンターだと紹介。しばしの談笑に旧交を温めた。この日は、ニューヨーク在住のクラインの実妹キャリル・ライヒマンも会場に姿を見せた。ともに顔見知りの篠原夫妻,クラインに面だちの良く似たキャリルとも和やかに談笑した。
7. クライン氏の実妹キャリル・ライヒマン氏と篠原夫妻
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しばらく人込みから離れた篠原、クラインについて次の様に語った。”彼の成功に比べれば自分の成功はほんの小さな物でしかないかもしれない。けれども、どんなに落ちぶれても、また成功しても、クラインとは、お互いが自身の生きた証人である様な、まるで兄弟の様な関係だ。” クラインの作品については、”社会への批判精神を忘れない姿勢が感じられる”と語る。批判精神とは、自身が身を投じる世界から一歩引いた視点を保つ事から生まれるのではないだろうか。クラインにとっては、フランスにあり、母国アメリカへの愛国心を忘れないことがその出発点のようだ。第二次世界対戦中一アメリカ兵士として初めて訪れたことに始まる彼とフランスとの関係。タイムズのウッドワードによれば、クラインは“私は完璧なフランス語を話す、けれどもあえてアメリカンアクセントを保つ様にしている”と述べたという。その理由については,“私は100%アメリカ人。よかれあしかれそれが私の導火線だから。” 作品に感じられる気骨。それは、クライン自身の中から導き出されるものかもしれない。そしてそれを読み取る篠原。二人の共通項がそこにあるからではないだろうか。
(Yoko Yamazaki)
8. エルメスギャラリー風景
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9.
ホワード・グリーンバーグズギャラリーのオーナー、グリーンバーグ氏と篠原夫妻
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