エゴン・シーレ展:
ロナルド・S・ローダー&セルジュ・サバルスキーのコレクションより
Egon Schiele: The Ronald S. Lauder and Serge Sabarsky
Collections
(10/21、2005— 2/20、2006)
ノイエ・ギャラリー
Neue Galerie New York
ノイエ・ギャラリーは、オーストリア・ドイツ表現主義のコレクションで知られる美術館。
オーストリア生まれで大戦中アメリカに移民したアート・ディーラー故セルジュ・サバルスキー(1912−1996)とコレクターであり前オーストリアのアメリカ大使(1986−7)でモマのチェアーでもあったロナルド・S・ローダー(エステ・ローダーの現チェアー:1944−)によって創設された。エゴン・シーレ(1890−1918)は、当美術館の代表的なコレクション。
創設者二人の思い入れも深く、生前サバルスキーはシーレのドローイングを
他人に額装させることを許さなかったと言い、またローダーにいたっては、1957年彼のバルミツバ(ユダヤ教の13歳男子の成人式)のお祝い金で購入した作品がシーレであったという。今回、ドローイングを中心とした作品約150点をアーティストの生涯に沿って公開する。
Egon
Schiele (1890-1918)
Self-Portrait with Arm Twisted Above Head, 1910
Watercolor and charcoal on paper
Private collection, New York
シーレが、ウィーンの名門美術アカデミーに入学するのは1906年。クラスでも最年少だったと言うが、その翌年一つの転機が訪れる。それは、師となり生涯の友人ともなるグスタフ・クリムト(1862−1918)に出会ったこと。クリムトは“時代にアートを、アートに自由を”を唱え、保守的な美術組織から離れようとした“ウィーン分離派”創設者の一人。1909年、シーレはアカデミーを離れニューアートグループを結成する。同年シーレが描いた当時15歳の妹をモデルにした油彩は、官能的で装飾的。クリムトからの多大な影響がうかがわれる。
Egon
Schiele (1890-1918)
Mother and Child, 1910
Watercolor, gouache, and pencil on paper
Private collection, New York
シーレが独自のスタイルを見いだすのは1910年、二十歳のとき。それまでシーレに経済的援助をしていた叔父が亡くなり、自活の道を強いられる。トュールーズ=ロートレックがパリのモンマルトルで行きつけのキャバレーダンサーや娼婦宿の女性達を描いたように、シーレはこの時期限られた人間関係の中でモデルを見つけたようだ。例えば、家族、友人、愛人など。ドローイングには道端の浮浪者や下層階級の人々も度々登場する。この時期、シーレは自画像も多く描いている。クリムト的な装飾性は薄れ、より
構成的で直接的、心理的で寓意的な表現が強調されていく。性的な描写も多く、当時としてはかなりスキャンダラスだったことは、想像に難くない。
Egon
Schiele (1890-1918)
Man
and Woman I (Lovers I), 1914
Oil
on canvas
Private collection, New York
スキャンダラスと言えば、本展は、シーレが1912年に13歳の少女を誘拐し倫理上の罪で24日間拘留された、というエピソードを紹介している。(その少女はシーレのモデルでもあったという。)世紀末ウィーンでのシーレのボヘミアン生活を象徴する逸話だが、
シーレの人気が
確実に育っていたのは、スキャンダラスと言うだけでなく、彼が時代の流行に敏感に反応する感性とアーティストとしての技量を十分備えていたからこそだろう。
Egon
Schiele (1890-1918)
Friendship, 1913
Gouache, watercolor, and pencil on paper
Private collection, New York
1915−6年、結婚や第一次世界大戦への従軍経験は、シーレにもう一つの転機を与えたようだ。この時期のドローイングにはピカソやマチスからの影響がうかがわれ、作品が変化しつつあることを感じさせる。1918年、シーレは
スペイン風邪によって28歳で亡くなる。(同年、スペインで発生したインフルエンザが世界に大流行し、大戦の犠牲者をはるかに上回る数の死者をだした。)シーレは、妊娠中の妻を失った三日後に亡くなっている。作品をほとんど完売させ、オーストリア国内から本格的な評価を受けたウィーン分離館での個展の数ヶ月後だった。
本展の企画はシーレの美術をノイエ・ギャラリーの創設者サバルスキーのもとで学んだという当美術館ディレクター、レネ・プライス。アメリカでは1960年代後半から70年代にかけて、シーレ・ブームが起こった。(ヒッピー世代の愛好者も多かったという。)プライスは、シーレが時代を超え、また新しい世代にも新たな刺激を与えることを期待すると語った。本展は、ノイエでは珍しく二階、三階の全館を使っての展示となっている。(Yoko
Yamazaki)