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-CONCEPT-OLD記事

美術手帳 1984年10月号掲載

[作家訪問]

篠原有司男 -   早く、美しく、リズミカルに……

もちろん人には完璧にできたと言うんだけど―

もうこれ以上わからない、あなたも一緒に見てくれ、と言う部分が必要なんだね。     


【第4回】

好きな友達はレッド・グルームズ

近視は強いんですか。  

 


左が0.01で右が0.1で、しかも逆乱視っていうのが入ってるんですよね。  

 


眼鏡はかけないんですか。  


うん、全然かけない。  小学三年から高校三年までは眼鏡かけてて、芸大入試のための石膏デッサンもかけてやってたけど、入学したらすぐに捨てちゃったね。  眼鏡を通すと物の質感が似てくるのね素眼(すがん)ていうのかなあ、直接見ると、プラスティックはプラスティックの、木綿は木綿の、リネンはリネンの、ナチュラルな質感がわかる。  

 


近眼であるということも、篠原さんの作品に影響あると思いますか。  


うーん。  いや、それはあると思いますね。  細部のデリケートな仕上げっていうことよりも、全体に強い絵っていうことは心掛けてますからね。  


 それにね、完璧な作品を作ろうとする人ってだめね。  見る人を魅了するっていうのは、
ある部分なげやりというか、自分自身ほっぼりだしたところがないとだめなんですね。  もちろん人には完璧にできたとは言うんだけど。  もうこれ以上わからない、あなたも一緒に見てくれ、という部分が必要なんだね。  だから特に日本のピカピカの金属彫刻に言いたいんだけども、ちっとも芸術的感動がないね。  ヘンリー・ムアをくだらないと言う現代作家は多いけど、あのたくましさは今の作家にくらべたら問題にならないですね。  

 


『前衛の道』 の中に 「イミテーション・アート」という一言葉が出てきますが、作品のオリジナリティということを篠原さんはどう考えてますか。  


オリジナリティというのは古い文学的な概念で、ファイン・アートに関してはいっさい無用だと思いますね。  そんなものを追求するために刻苦勉励したりなんていうのは、ほんとナンセンス。  描きたいものを描いて、作りたいものを作ればそれでいいんであって、それがたまたまだれかに似ていたとしても、基本的にはそんなことはどうでもいいことなんです。  オリジナリティっていうのはマーケットでの売り買いのための一つの方便でしかないのであって、同じものが二つあったら画商は困るから、ちょっと早い方からいただこうという程度のことでしょ。  作家は自分の作りたいものを作ればいいんですよ。  日本人は繊細だからまわりを見回して、流行だ、方向だ、素材だ、美術館のやろうは何もわかっちやいない、作品は売れねえ、あいつは一億円の仕事を受けた……。  そんなのはアートとしての大事なことの後の問題であって、いっさい悩む必要なし。  一番大事なことは、自分自身に正直になってそれをどこまでつらぬけるか、ということじゃないかなあ。  気楽に正直にね。  

 


実際に制作するうえで気をつけていることはありますか。  


そうね、体も頭もコンディションのいい時に一気に……ってことかな。  

 


『前衛の道』 の結語に 「早く、美しく、そしてリズミカルであれ」という言葉がありましたね。  


そう、それ書いた時は恥ずかしかったけど、変わらないね。  

 

竜安寺

Ryouanji

1984

226 x 366 cm

アクリル・キャンバス

 


好きな作家、あるいは影響を受けた作家というのはいますか。  


いろんなやつから影響受けてるからなあ。  学生のころはゴッホね。  「炎の人」という芝居を滝沢修がむかしむかし劇場でやったんですよ。  それを見てじつに新鮮だった。  絵自体は、おふくろが絵描きで、ぼくに絵描きになれってんで小さい頃から描いていたけど……。  
 ニューヨークで一番好きな友達っていうのはレッド・グルームズだけどね。  作品が似てると言われるけど、本質的には違うね。  じつにユニークな、ナッシュビル生まれの金髪のナイス・ガイですよ。  うちのすぐ近所に住んでる。  機微っていうのかなあ、作家としてのレッドの資質とぼくのとが合うんですね。  彼も、一歩ぼくのアトリエに踏みこんですごくリラックスするって言うしね。  レッドは売れまくってミリオネアかも知れない、ぼくは今年に入ってまだ一点も売れない、それでも十分につっこんでつき合える。  お互い作家の目としてこわがってるスリルもある。  

 


篠原さんは、今の世の中でアーティストというのはどういう存在だと思いますか。  


今の若者は 「アートなんていらないよ」と考えてるかも知れない。  楽しみはほかにいっばいあるしね。  だけど、アーティストなんていうのは四畳半でこたつに足つっこんでチビチビ酒飲んでるような、もともとそういう存在なんですよ、世の中では。  ほらナムジユン・パイクの「月は大昔からあるテレビだ」 っていうのあるでしょう。  あれでいいんですよ。  
 彼はわかってると思うな。  アートやアーティストなんてすみっこのものですよ。  有名になって若者に媚びたりしてもね―。   だいたい今の日本には「ヤング」「若者」っていう言葉が多すぎるね。  マスコミも社会もヤングに媚びて……。  アメリカで「ヤング」って言われたらバカってことだからねえ。  

 


日本の若いアーティストに対してメッセージをいただけませんか。  


いくらでも言いたいことはあるんですけど、アートにつっばりは必要ないっていうことね。  まじめに作っていればいい。  ひとの作品はどうでもいいことだし、売れたとか売れないとか、新聞に載ったとか載らなかったとか、そういうことを気にするなということね。  

 


ただ、作品が売れるということは、励みというか力になるのではありませんか。  


それは絶対にあるの。  でもそれは、まず絵を描くということのその後のことだよね。  自分に忠実に、作品をシコシコ作るということだけだと思うなあ。  


                  [インタヴュー = 編集部]





―しのはらうしお 一九三二年東京生まれ。  五七年東京芸術大学中退。  五八-六三年読売アンデパンダンに出品。  五八年東京・村松画席で個展。  六〇年読売アンデパンダンに 「世界最大の自画像」を出品、ネオダダイズム・オルガナイザーズを荒川修作、赤瀬川原平、吉村益信らと結成。  六九年よりニューヨークに住む。  
 七三年CAPSの奨学金を受ける。  八二年ニューヨークのジャパン・ハウス・ギャラリーで個展。  八三年東京・ギャラリー山口とエンバ文化ホールで同時に個展。  
このほか個展およびグループ展への出品多数。  
*掲載作品は「篠僚有司男展」(八月十六日-九月三日 = かわさきIBM市民文化ギャラリー、八月十六日-九.月一日=東占小・ギャラリー山口)より取材しました。



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