【カミナリ彫刻】1960年第12回読売アンダパンダン展
朝日ジャーナル誌より
ジャズバンド共演のアクション・ペインティング
六月四日、曇。
川崎の鵜沢宅にまたもO子に外泊を強要したぼくは、朝、あわててさびたカミソリでそった血だらけの頭で、小さん師匠との約束の七時まで荻窪のぼくの家に車をとばした。
ラジオ東京のスタッフが録音の準備をして待っているはずだ。
羽織、はかまに白たび、つまかわの高歯、頭をスカツと刈りこんだ小さん師匠は、五、六人の報道部の連中に囲まれ、すでに座敷でお茶を飲んでいた。
ぺらぺらしゃべりまくるぼくを、 「はなし家の私も驚く」 とひやかした。
外に出て師匠の似顔を一枚かき、竹のオブジェに火をつけ、ポール・アンカの ”ダイアナ” を無理に歌わされてしまった。
十二時、また銀座の画廊に帰る。 昼休みのオフィスマンやBGたちでいっぱいだ。 週刊誌の宣伝カは絶大、みなぼくのことを知っている。
写真家の鳥居良禅氏が会場に来て、カラーでぼくの実演をとりまくる。 激しいアクションで墨汁が天井に飛び散り、矢崎さんがそのたびにむくれる。
夕方、O子の両親が現われ、ぼくとO子の結婚は認めるが、結婚式にその頭では困る、髪の毛が生えるまで人目につかぬところで暮してくれという。
神奈川県の日吉に家を借りて住むことになった。
ぼくらは民放のテレビ結婚式に申込んでいて、テレビ局でもOKだったのだが、ぼくの家でもO子の家でも家族や親せきのものがだれも出席したがらないのでお流れとなってしまった。
六月八日、快晴。 ついに個展の最終日が来た。 芳名帳は三冊目。 連日の実演でタフなぼくもいささかグロッキー。
だが今日はアグリー・T・鵜沢がひきいるジャズバンドを背景に大アクション・ペイソティングを行う予定だ。
それを聞きつけて集まった人々、せまい村松画廊C室は人いきれがして息苦しい。
「ただいまバンドが到着しました。 」
迎えに行ってくれた土方巽が、およそぼくらの画廊には不似合いのキラキラ光る楽器をかついで連中と現われた。 ドラム、テナーにトランペット。 オブジェの間を縫って楽器をセットする。 ものすピい音でサックスとトランペットが鳴る。 矢崎さんが何やらわめきながら入口の扉を閉めようとするが、あふれる人垣でどうしようもない。 えたいのしれないエクスタシーが会場をおおっている。 実演だ。 飛び散る絵具が見物人にぶっかかる。
ドラムのはやいリズムに合わせて筆をカンバスにたたきつけて行く。 一枚がすぐに完成してしまうので、描いた上にまたカンバスをのせて描く。
折れてしまった筆にかえて、こんどはナイフでカンバスを切裂く。 カメラマンに合図して最後にカンバスを蹴破り、そこから頭だけ出したところをパチリ。
見物人が散ってしまった会場に、O子の提供してくれたカンバスも壁からはずされたまま、ぜんぶずたずたになって残っている。
「お友だちがけしかけるから、このひとがこんなひどいことをするのです。 」
わめきながら、O子は泣きだしてしまった。
地上最大の自画像をつくる
突然モクモクと真黒い煙が、ものすごい勢いで三木富雄の直径七メートルの洋凧の作品から吹き出した。
煮えたぎるコールタールを最終段階の仕上げに、ひしゃくでかけていたが、トラックのタイヤを使用していたため全面的に火を呼んでしまったのだ。
バタバタと近所の家が黒煙を見て窓を閉め、洗濯物を取り込む。 野球をしていた子供たちが巡査をつれてきてしまった。
「また、始末書か!」
野外アトリエでは、銀座で偶然知り合った三木富雄と金子鶴三、それにぼくの三どもえで第十二回読売アンデパンダン展の搬入に向かい寒風の中で死闘が続く。
前日、美術館の壁の高さを計りに行ったら、ジャスト五メートルある。 制作中の彫刻の高さをぴったりそれにそろえる。 徹底的に会場効果をねらうためだ。
「お-い、手を貸せ!」
「駄目だ持ち上がらない。 」
「だから最初から無理だと言ったんだ。 」
ぽくの、六つに分解出来る、セメントでレリーフにした地上最大の自画像は、ベニヤ十五枚、面積七坪半、その一枚一枚が重くて持ち上がらないのだ。
「あきらめろ。 」
「いやだ!」
搬入のためにたのんだトラックの運ちゃんを待たして、ぽくはシャベルで表面のセメントをたたき落し、軽くした後、全面にコールタールをかけ、長靴に自ペンキで画面の上を滑るようにして、五分で描き直してしまった。
前年、渡米中の批評家・東野芳明氏から、断片的に送られてくる、ニュ-ヨーク情報によれば、ニューヨークが生んだ最新型のアートは、新人ラウシェンバーグ、ジャスバー・ジョーンズに代表される、ネオダダ派と称するものであり、また、マンモス都市のビル群に、塵の如くすい込まれて行くモダン・アートに対し、批評の純粋性は保てないのではないかとなげいてあった。
批評はともかく、アンフォルメル以後、急変する国際画壇の一翼を担うべく、いよいよぼくらの出番が廻って来たぞと、第十二回アンパンに向かい制作に熱が入らざるをえない。