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-CONCEPT-OLD記事

Boxing Painting/Dumbo,New York

2002

PT  H . IDE

 

 画廊時代に突入                             


 「貴方は、家のゴミバケツに絵具をぶっかけた作品に、大切なお金を出せますか?」

 「貴方は、ベン器にサインをしただけの作品を部屋に飾る気になれますか?」

 「全裸で雑踏の中をつっ走る男女を観るためにサイ銭を投げられますか?」

 貴方が日本人ならば答は無論、 「ノー」である。

 だが、ポップ・アートの超大作を背に、悠然とビフテキをパクつく家族。 ゴリラの恐ろしい顔面を幾つも取りつけたピンクの円形ベッドでスヤスヤ寝るグラマー。  巨大なハリボテのハンバーグを取囲み、シャンパン・グラスをカチカチさせるダークスーツのパーティー連中。  乱チキ騒ぎの果てに高い金を支払って買って来たこの芸術作品をメチャメチャに蹴破ってしまう。




 すべてアメリカの話だ! 俺の空カン・空ビン・古靴をくくりつけたオブジェを前に、スシをつまむ若旦那。 こりゃあ絵にならねえ。そうだろう。

 買った作品をアメリカ人は、きまって、トイレにかけて眺める習慣がある。 日本の場合なら、ピンアップ・ヌードが落ちだろう。

 俺たちは、しかしこのコタツを囲む2DKの中に怪獣の一物のような前衛芸術作品を投げ込み、お返しに銭をたっぷりいただく事に決心したのである。


 

     ティンゲリーのアシスタントとなる

一九六三年二月某日、われわれは久々にヨーロッパから大物作家を迎えた。 自動デッサン機や自己破壊機の廃物機械屋、スイス生まれの青ヒゲ、野性味あふれた風ぼう、紺のブレザーにノータイ、と気軽なスタイルで羽田に降り立ったジャン・ティンゲリーは、しかし、銀座に向かうタクシーの中で、一年後にオリンピックを控え、ものすピい勢いで突貫工事を進める深夜の東京を眺めながら、がっかりして言った。

 「これじゃあ、おれの個性がサエねえ。」

 パリの凱旋門をバックに、メタマティック(自動デッサン機)から延々と流れ出るデッサンの前に立った革命児ティンゲリーの姿は、二千年の伝統を誇るヨーロッパ美術界の重圧に立ち向かう勇姿だ。 いくらピカソの傑作でも、カンバスに描かれた女の目玉はぐるぐる回転することはないから安心して観ていられる、ブランクーシの彫刻だって踊り出しはしない。 動く芸術作品、こんな簡単明瞭直截なしかもコロンブス的大発見、フォルムだ芸術性だなどではない。 何でもかまわない、バケツだろうが、トンカチだろうが、モーターで動かせば、彼だ、ティンゲリーなのだ。 この明快さ。  

 

 

 東京日本橋・南画廊でのワンマン・ショーのため、材料の廃物集めを手伝うべく、ぼくは豊島壮六、石崎浩一郎らと南画廊でおちあった。 現役のトップスターのアシスタントとは幸せだ。 そこでまた一年前のデンマークでの彼の大個展の話を聞かされ目をみはった。 それによると、イタリアからわざわざ伝統的花火職人を招き、火薬の調合をたのみ、自らは制作したあらゆる廃物機械の始動をピアノのキイに連結し、ボーンとひとつキイをたたくたびに、公園に集まった見物人の頭上を、ロケットがすっ飛び、煙がのぼり、ぎしぎしオブジェが変形してゆき、最後に飛び出したハトが花火で死に、それが大きく新聞で残酷だとたたかれたという。

 

 

 さすが一流だけあってやることのスケールが違う。 ニューヨークの近代美術館中庭で消防車まで呼んだ、爆発しながら消滅する ″ニューヨーク讃歌″、ネバダの砂漠での実験、などの写真を見ているぼくらは、南画廊のせまい会場では真価を十分発揮できないのではないだろうかと疑った。 が、ともかくぼくら四人は豊島壮六の地元である両国の竪川に向かった。 そこには廃品屋が集中している。                                                     
 モーター、ギヤ、ベルト、ナットが山と積まれている。 そこでティンゲリーが引っぱり出すのは小物ばかりで、ぼくらはちょっとがっかりしたが、それでも彼の趣味がわかってきたぼくらは形のよいものをどんどん探してやった。 道に落ちている釘金なども拾った。 言葉の通じないヨーロッパの巨匠と、泥んこの拾った一本の釘金にぼくらと共通の感覚を見つけ出せたのは愉快だった。

 工事につぐ工事の喧騒の東京と、臨終の怒号を発する、第十五回読売アンデパンダン展の異様な放射能を浴びたティンゲリーに、東京での最終の試練が待っていた。

 酔限朦朧のぼくの目に、満員のオープニング会場プラス廃機械の騒音の向こうで、ティンゲリーが、画廊の志水楠男氏にドアーを指さし、何やら懸命に懇願している姿が映った。 何をしてるんだろう? 五メートルの壁を占領した動力で動かす日本生まれのノコギリの付いた大作はちょっとすごい。 だがせまい会場いっぱいに並んだ、すべて踏みスイッチで始動するオブジェ群は、人が多くなるにつれて動きを冷静に鑑賞するどころではなくなり、前後左右ではげしい動きと騒音を発するため、ジャズ喫茶かダンスホールのようになり、アルコールがまわるにつれ、気取っていた連中も全員がリラックスになってきた。 ウイスキーの水割りのコップを片手に持ちながら吉野辰海が、上下運動をする作品の棒にぶら下がり、げらげら笑いながらツイストを踊っている。 まるで猿だ。 その横では田中信太郎らがモーターの馬力を試すのだと、二、三人でむりやりに動きを押えつけている。

 タキシードの上流階級の紳士淑女に囲まれたヨーロッパやアメリカのオープニングならば、これらの廃機械も、さぞかし白鳥の群れに舞い込んだハゲタカ的魅力を発揮できただろうが、ここ東京ではそうはゆかない。 もっときびしく鑑賞すべき巨匠の作品も、刺激になれているぼくらにはいつのまにか遊園地のオモチャ同様の気安さになってしまい、はては作品をいじくりまわしぶっ壊してしまいかねない勢いだ。 中でも彼の初期の傑作であるひときわ優雅なフォルムのメタマティックには人気が集中。 百円で一枚のところを五、六枚も描かせ、小脇に抱え込んでいる奴がいる。 泣き面のティンゲリーが、早く連中を追い出し、ドアーを閉めてくれと頼むのもむりはない。

 

 


 

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