Boxing Painting/Dumbo,New York
2002
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次はポップで行け!
「よし、ポップで行くぞ。」
「ポップってなんだ。」
「見せな見せな。」
同じ年の四月、グループ・スウィート(sweet)結成のため集まったぼくらの前に拡げた、石崎浩一郎の持ってきた雑誌 「アート・インターナショナル」
の一頁はすごい反響を呼んだ。 ニューヨークのしにせシドニー・ジャニス画廊に集められた、これぞアメリカの誇る物質文明が生んだ最初のアートがぜんぶ写実だった。
アンフォルメル以後流行るとすれば、必ず写実だ、とうすうす了解してはいたものの、じかに見せつけられたショックは大きい。 オルデン、リキテン、ダイン、アンデイ、シーガル、それに文字だけのインディアナ、六人のさむらい。
世界のアートの形式が、二転、三転、ぼくらの生きている目のまえで、しかもここ三、四年の間にこうもめまぐるしく変わるとは。
″芸術はスタイルだ″
と十年前に強引に横車を押し通してきた岡本太郎の発言が、ここにはっきり実証されているのではないか。 写実か抽象か、半抽象か、筆で描くか、形を切り抜いて吹きつけるか、定規で引いた線か、フリーハンドか、彫刻に色をぬるかぬらないか。
〝見よこの迫力。三木富雄(上)と吉村益信(下)葉、はからずも同時にビンの作品を発表した。一時ヨーロッパで流行したジャンク・アート(廃物芸術)などという生やさしいものではない。全部パーテーで連中が飲みほしたウィスキーの空きビンと聞いて二度ビックリ。〟 ~写真中の文章より |
「早くまねしたものが勝ちだぞ。」
とぼくの発言に、
「内容から入らなければだめだ。」
とだれかが答えた。
「内容なんか無いし、不用だ。 もしあるとすれば全体の1パーセントでよい。」
ポップ・アートに内容があるとすれば、知的逆説(パロディ)だ。 オルデンバーグの巨大なホットドッグ彫刻のすばらしさは、ホットドッグを実際にくった現代人しか理解できない。 永遠実の追求を拒否し続けてきたぼくらにとってポップは除夜の鐘のようにがんがん鳴りひびいた。
ついにイミテーション・アートを始める
この年、一九六三年の前半に、グループ・スウィートは全員ポップ・アートによるショーを三回開いている。 三月、カワスミ画廊、四月、新宿第一画廊、五月、ルナミ画廊。 このルナミと同時にぼくは日本橋・秋山画廊で巨大な矢印による個展を開き、そこで、来日中のグッゲンハイム美術館のキュレーター、アロウエイ(ポップ・アートの命名者)は強烈なショックを受けたと語った。
七月、シェル美術展の搬入が近づいた。 むろんポップ・アートを出品するつもりで制作にかかったが、食物を扱えばオルデンになるし、人体を作ればシーガル、漫画を使えばリキテン、レッテルはアンディー、星条旗はジョーンズ、ぶっかければローシェン、とどこを探しても新形式は見当らない。
くそ! いっそのことぜんぶひっくるめて行け!
と星条旗をバックに、中味の入っているコカコーラをつかんだ石膏の手を四本突出し、DRINK MOREと大書し、出品、佳作に入選した。 この時はじめて使用した螢光塗料の効果は絶大で、以後のぼくの全作品に使用することになる。
翌年一九六四年六月、来日したアメリカン・ネオダダの双璧の一人ジャスパー・ジョーンズは、東野芳明氏とともに偶然訪れた新宿の椿近代画廊地下に点在する五つのボディーに強烈なショックを受けた。 紅白十センチ幅のストライプの旗を頭からすっぽりかぶり、壁に向かって陰気につっ立ったこのハリボテの人体はいったい何を意味しているのだろう。 プラスティックと樹脂で全身ねっとりと異様に輝く、この作品の作者は小島信明。 第十四回アンデパンダンで旗をかざり、その下のドラム罐の中で十六日の全会期を過ごした彼のハプニングが、このハリボテ人体によりいっそう強い実存性を獲得した。 ちまたのハプニング主義者たちが、まだ血の通う自分たちの抽象的肉体に固執しているのにくらべて、何と傑出していることか。
二度目にジョーンズが訪れた時の椿近代画廊地下室は、久保田成子のミス・ユニバースと題する作品がまき散らされ、踏みつけられた糞と食べ残しのくさった野菜で、そうでなくても四十人の作品の渦巻く熱っぽい会場に、一段と華をそえていた。 ミス・ユニバースとは一匹の白兎である。 その前の週、小島信明のオープニングに集まっていたぼくらに、画廊のマネージャーの鈴木さんが来週空いているので何とかならないかともちかけられた。 前の年に蒸発してしまった読売アンパンの代りに何かと考えていたぼくらにはたなぼただ。 OKはしたものの一週間しかない。
居合わせた連中全員に出品を承諾させたもののざっと四十人、これが五坪ほどの地下画廊に押し入ったのだから文字通り足の踏み場もないすごい迫力の会場が出来上がっていた。 制作期間が一週間しかないので、もっぱらレディー・メイド・オブジェが多い。
偶然に生れたものが、正確な計算によったとカモフラージュされるごとく、ニ週間の準備期間で出発したOFF
MUSEUM展に対し、アンチ・アンパンであるという誤解が生れたとしても少しも不思議ではない。 OFF
MUSEUM展の牛乳箱に配達されるミルクに誰が音楽を感じ得るだろう。 地下画廊に輝くOFF
MUSEUMのアンチ物体が、芸術的サウンドに期待の耳をかたむける聴衆に僕らは小便だらけの兎で答える。 だからといってあなた達の怒りを嘲笑で迎えるとは限らない。 アルミの巨耳、クシザシのビールかん、蓄音機にセットされた悲鳴をあげるガラスの円盤、ミンクを着た地球儀、ホモ・セクシャルな青写真、ペニス・バイ・ミルク・・・・・・。 形而上学的不安と陶酔にならされたあなたに対して、これらは暗がりのシートとポップコーンを約束するでしょう。 美学の売人から手をきったあなたに、私が用意したのはOFF
MUSEUMだ。
ジョーンズにぼくの作品をみせてやろうと彼を引っぱって行った。 マンションのロビーにずらりと並べたぼくのけばけばしい作品、たとえばビートルズ、水泳のドン・ショランダー、エアメール等々の作品はほとんど無関心な顔つきで眺めていたジョーンズに、それではと、ぼくはとっておきの 「コカコーラ・プラン」 (ローシェンバーグの作品のイミテーション) をつき出した。
驚いて大声をあげたジョーンズは、隣の東野氏と急にぺらぺらしゃべり出した。 それもそのはず彼の親友ローシェンバーグのいちばん知られている傑作、ニューヨークにあるはずの「コカコーラ・プラン」(三本のコカコーラのびんに二コの女神像の翼をとりつけたもの)が、そっくりそのまま、東京のこんなところでお目にかかるとは! 無残にも螢光塗料でぬりたくられている。
「あなたのもありますよ。」
とぼくは、ジョーンズの代表作 「旗」 (星条旗が大中小三段重ねになっている) のイミテーションをつきつけた。 あっと口をあけたまま、彼は深刻な表情でなつかしい自分の作品を眺めていたが、のちに、このぼくの補色で塗り分けた「星条旗」がヒントになり、彼はニューヨークで、補色とモノクロームの二つの旗を描き、鑑賞者の日の残像にうったえるオプティカルな作品で物議をかもしたと、アメリカの週刊誌「タイム」は報じていた。
領事館でキャンセルをくったのもこの頃だ。アメリカ行き。 本場ニューヨーク画壇での成功を思うと、ニュー・アートに対するコレクターの皆無な日本の作家生活にいやけのさしはじめているぼくの頭がいっぺんにはれ渡る気がする。 すでに荒川、吉村、平岡、升沢、越鳥、工藤らを送り出し、大たいニューヨークでの生活は見当がついている。 あとは旅費とビザの問題だけだ。
「アイ・アム・グレイテスト・ペインター・イン・ジャパン。」
じっと、ぶ厚い眼鏡ごしにぼくをにらみつけているブタのように肥った中年の女領事。
「テレビ、ラジオ等にしょっちゅう出ています。」
「ねえ君、ぼくを見た事があるでしょう。」
通訳の女性はちらっとぼくを見たが、めんくらった顔をしてうつむいてしまった。
アメリカに何しに行くのか? との質問に、ここぞとばかり
「アメリカは今や世界美術のリーダーだ。ニューヨークの生んだニュー・アートにぼくは一番関心がある。 ぜひ、自分の眼で確かめたい。」
手にマメが出来ているけれど、アクション・ペインティングでこんな大きなマメが出来たのかと開き直って来た。 ぼくはびっくりして自分の手に触ってみた。 すごい確かにゴツゴツしている。
そうか奴は労働者が画家をいつわって渡米しようとしているかと勘違いしてるんだな。
「高校の時ウェイト・リフティングのチャンピオンだった。」
と答えた。
「あなたにビザはあげられない。」
女領事はふるえる手でキャンセルの判をベタとばかりぼくのパスポートに押すと、返してよこした。 ばっきゃろう。 どうしてくれるよ! なんらかのせん別はもらってしまい、昨夜は送別会で胴上げまでされたのに、これじゃあせん別サギになってしまうよ!