個展 「女の祭」 1966年 東京画廊
花魁シリーズの集大成で勝負
一九六六年三月ヤヨイの頃、銀座・東京画廊で、賞金二千ドルのほとんどをつぎこんだ 「女の祭」 と銘うった 花魁シリーズの集大成
ともいうべき大個展がオープンした。 新調のタキシードに エナメル・シューズのぼくは、しかし、四日間連続徹夜の疲れでぶっ倒れてしまった。
ぼくはこの東京画廊大個展のため、生まれて始めてアトリエというものを借りた。 小田急線参宮橋に吉野辰海の管理する一軒の家があった。
十坪程の物置だが荒れ方の物すごさは正に化物屋敷で、ガラス戸は破れ放だい。
二月の厳寒の中で、ぼくは、ジャンパーに登山靴、軍手にマフラーでガッチリ固め、三十万円の札束を片手にもうれつに制作にとりかかった。
個展まで二週間の超短期間を、天才篠原有司男前衛歴十数年間の最高のショーにもって行こうというのだ。
飲んだくれて寝ている暇などミジンも無い筈だ! といいたいのだが、次々とぼくの猛制作ぶりを見学かたがた手伝ってくれる親友たちと、ちびちびやる焼酎の一升びんが早くも山となって、ストーヴの周囲に転がっていた。
花魁がテーマとはいえ、使用されている部分はカンザシ、目鼻のないのっぺらぼうの頭部くらいで、それらがラッカーテープ使用で直線的にフォルムを作り、螢光塗料で極彩色に色分けされる。
正面のヒナ段に並ぶ内裏ビナの頭はモーターで廻転。 土台ごとがたがた揺れ、首が千切れてふっ飛ぶ恐怖を見る人に与える。
吹きつけられた補色が起すハレイションで、一作をじっと観賞しようなどというなまやさしさはみじんもない。
巨大な一物、男女の同衾、いやがうえにも神経をかり立てるシーンばかりだ。 タイトル・マッチのリング上の興奮がそこにあった。
「顔の皮をはぐ」 1966年 個展 女の祭 東京画廊
来日していた電子音楽の権威、ドイツのシュトックハウゼンは色彩に圧倒されながら、会場い
っぱいの全作品をぼくが一ヵ月で完成したと聞き、東京の歯車がいかにハイ・テンポで動いてい
るかを認識させられたともらした。
そうだ! ぼくが東京に生きる人間としてエキサイトしながら皮膚で感じ、とらえた現代美術
の条件とは次の三つなのだ。
早く、 美しく、 そして リズミカル であれ。
1965年 第2回長岡現代美術館賞展 出品作品 (長岡現代美術館)