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-CONCEPT-OLD記事

THE WORLDS OF NAM JUN PAIK

 

2.THE SEOUL OF FLUXUS

 ソウル・オブ・フルクサス

Composition, performance, and the transformation of video and television

 コンポジション、パフォーマンス、ビデオとテレビのトランスフォーメーション

 

2-3

 

 フルクサス時代のパイクにとって、シャーロット・モーマンとの出会いは非常に大きなものであった。特に生きた彫刻のためTVブラ、TV眼鏡、TVセロなどは、モーマンの体をTVという肉体に変えた。これらの作品の強さは、モーマンのカリスマ的存在感と彼女の力によるものであった。その能力とは、機知であり、直接的なユーモアであり、パイクがつくり変えたテレビやテクノロジーを自分のパフォーマンスに取り込み具体化するような真剣さである。それはパイクの作品に表現的な力を与えた。これらの芸術的なプロセスを通して、モーマンはパイクのビデオ彫刻の特色づくりに貢献した。彼の素材としてのビデオを人間らしくする、近づきやすいようにさせる能力は、ビデオ彫刻を特別なものではなくて集団的な娯楽と同一視させた。テレビを日常的かつ個人向けの表現的なものに作り直すことで、彼はテクノロジーに、人間の尺度と表現のかたちをもたらした。同様にこれらの作品は、深くて永続的な理解や愛情、パイクとモーマンが互いに感じた信頼に反映していた。

 

パイクの女性の肉体や音楽のエロチシズム化に対する熱望、彼自身を含むパフォーマーの肉体を操ることへの欲望、最終的には性的行為としてのパフォーマンスに没頭しそれを包み込もうする欲求は、完全にはモーマンに理解されたのみである。ガンとの長い闘病生活の末に亡くなったモーマンの死の後、彼のプロジェクトのおける女性パフォーマーの扱いは、パートナーシップにおける深みや、永続的な現実性に欠けていた。モーマンの全てのパフォーマンスに集中力や緊張感を注ぎ込む能力や、前衛の常識を逸したアイデアをほめたたえる感性は、無比の功績を創り上げた。彼女の芸術への総合的な献身は、彼女の自信とフルクサスが頂点を極めたことを物語っている。それは前人未到の業績でもあった。

 

 芸術とテクノロジーにおける本当の論争は、科学は急速的に発展を遂げている中で、別に科学のおもちゃを作ることではなく、テクノロジーと電子環境をどのように人間的なものにするかということである。・・・生きた彫刻のためのTVブラ(シャーロット・モーマン)もまた、電子科学や技術の人間化というひとつの具体例である。人類に最も親しまれているTVをブラジャーとして使うことで、私とモーマンは人類のテクノロジーの利用について論証し、また、無目的に視聴者を刺激するだろう。しかし私たちは、新しく創造的で人道的なテクノロジーの利用法を探し出すために、視聴者のファンタジーを刺激するのである。

Paik,1969

Nogchi

 

 

      

 

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