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-CONCEPT-OLD記事

THE WORLDS OF NAM JUN PAIK

 

 

2.THE SEOUL OF FLUXUS

 ソウル・オブ・フルクサス

Composition, performance, and the transformation of video and television

 コンポジション、パフォーマンス、ビデオとテレビのトランスフォーメーション

 

2-2

 

 パイクの初期の活動を知るためには外側から彼を見ることが重要であろう。その外側とは、ヨーゼフ・ボイスやアラン・カプロウ、イブ・クライン、クライス・オールデンバーグらによるハプニング、フルクサスなどである。その行為は、象徴かつ社会的表象として衝撃を与えた。またその行為は、パフォーマンスの制度的権威と芸術の概念そのものを弱体化させようとしていた。彼らは消費社会や政治を象徴するもの、伝統という権威に対して、皮肉に満ちた演出を通して攻撃し、社会に疑問を投げかけた。当時オノ・ヨーコもこのような活動に参加している。その活動は大勢を巻き込むものもあれば、アンダーグラウンドで行われることもあった。

 これらの活動は芸術家の集まりの中で起きたことであって、永続的なものではなかった。しかしそれは、パイクが発見しその魂を捧げるパフォーマンスという儚い世界であったのである。彼は彼自身を芸術家として定義するものを探し、行為という文化分野に霊感の源を見つけたのである。彼はその行為に、彼が行為をすること、その行為をすることで人々に知られること、彼の表現する言葉の創造性を高めることの必要性を確認した。当時のパフォーマンスは、前衛フィルムや、消費イメージの因習的な修辞学を打ち壊すためのフィルムとパフォーマンスを融合させる活動と繋がっていた。

 ジョン・ケージへの尊敬の念をこめた“Hommage a John Cage1959)”は、初のパフォーマンスとしてデゥッセルドルフのギャラリー22でボイスと共に行われた。パイクはオーディオテープを使用したパフォーマンスによって伝統的な音楽演奏やしきたりを破壊しようとした。彼はピアノや悲鳴、様々な音を収録するうちに、テープの音では満たされないことに気づき、パフォーマンスへとのめりこんで行ったのである。彼のHommageにおけるオーディオテープの使用は、音楽、パフォーマンス、行為、そしてビデオやテレビの間で彼の最も重大な要素を創り上げた。そして彼の音とビデオの活動は、音と映像の機械に対する途切れのない研究でもあった。

 次のパイクの代表作は、ストックハウゼンのOriginaleというイヴェント、ハプニングの中から見出された「シンプル」、「頭のための禅」などである。ケルンのアム・ドム劇場で1961年に行われた公演においては、彼は稲妻のように舞台を駆け回ったり、ピアノの鍵盤に頭を打ち付けている。この並外れたパフォーマンスの重要な要素は、そのイヴェントが闇雲におこなわれたのではなく、パイクの追い求めていたオブジェや行為のという楽譜の中におけるイヴェントであったことである。また「ヴァイオリン独創」や「エレクトロニック・テレビジョン」などの西ドイツにおけるこの時期、彼は多くの活動をフルクサスと共に歩み続けた。

 パイクは自由を表現した。その自由とは、ジョージ・マシュナスのフルクサスでの交流で見つけたものである。彼はやりたいことを行い、その活動に対する反応や認識を受ける中、彼の活動に好意をもつだけではなく、芸術家として結ばれてゆくことのできる芸術家に出会えることが彼にとって大きな驚きであった。このような中で、さらに大きな舞台で活躍したいという彼の大きな野望は膨らみ、渡米後のテレビ放送やビデオを巻き込んだ活動にそのゴールはあった。

 

 私の人生において幸運だった出来事のひとつは、ジョン・ケージと刺激的であったヨーゼフ・ボイスに出会えたことである。それ故に、スターダムにのし上った2人の歩みをあわせもつことができたのである。・・・

PAIK,1986

Noguchi

 

 

      

 

 

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